11月はほんと盛りだくさんだった。
通常の仕事自体も結構ハードだったなかで、人間としてよくここまでいろんなことができたなって1ヶ月。
学びあり熊あり探検あり餃子ありバチェラーありの、バラエティに飛んだ日々。
内容結構端折ったりしたけどやっぱ長くなってしまったんで、まあお暇な人だけ気長に読んでね。
11月
11月2日-3日
紅葉の中、郡上のとある山中を進む集団。
その集団を先導するのは、この郡上で40年以上、たった一人で「熊撃ち猟師」をしてきたスーパー熊撃ち師のWさんだ。
今回のツアーは我が師匠ユルさん&美術作家のトザキチさんが主宰する「Another home Gujo」のもので、『熊撃ち猟師、人生譚の旅』という特別プロジェクトツアー。
Another home Gujoは「いつでも帰ってこれる第二の故郷」をテーマに、郡上の自然・文化・人を通じて、本物の旅を提供する取り組みをしている。
そこでは消費型ツアーでは得られない「本来の自分への回帰」「新しい自分の発見」があり、このツアースタイルは僕の目指すものに近いため、今回はお勉強のために参加させてもらった。
とはいえ一番の参加理由は、40年という長きにわたり、たった一人で熊と対峙してきた「リアルな漢の生き様」に触れてみたかったからだ。
一般によく知られている集団猟「マタギ」とは違い、Wさんは「単独猟・忍び撃ち」。
北斗の拳で例えれば、集団猟のマタギは「牙一族」、単独猟のWさんは一匹狼の「雲のジュウザ」と言えば女性やお子さんにもわかりやすいだろう。
集団猟と単独猟の労力差は何十倍も違ってくる。
さらに凄いのがマタギは春の痩せこけた「出熊」を狙うのに対し、Wさんは一番警戒心が強くコンディション抜群の「秋熊」を狙う。
それは言ってみれば、傷ついてヘロヘロになってるラオウをあえて狙わず、ベストコンディションの闘気バンバンのラオウ相手に堂々と一人で挑むようなもの。
もはや理屈抜きで「かっこいい漢」なのだ。
Wさんの狩りは、その熊に徹底的に「恋」をすることから始まる。
しかもそれは数年越しの徹底的な恋だ。
もはやストーカーと言っていいレベル。
まず狙ってる熊のテリトリー、移動ルート、習性や癖、痕跡、その全てを時間と五感をフル活用で把握する。
Wさんは常に山に入って数頭の熊が「今どこで何をしてこれからどうしようとしているか」を「感じる」作業に徹する。
それと同時に熊の方もWさんの存在に気づいている。
大自然の中、何年にも渡って五感で対峙する熊と猟師。
その感覚は僕らでは容易に想像することができない。
やがて「Don’t Think!Feeee!」というブルース・リー状態になった時、突然「あの熊、これからあそこを通るぞ!」と完璧にわかる瞬間が訪れるという。
そして確実に仕留められる距離に熊が近づくまでじっと息を潜め、三角関数や慣性の法則を駆使して弾道を計算し、「今だ!」というタイミングでズドン。
その距離は一発外せばこちらが殺される距離。
その時のアドレナリンの噴出量は、おそらく僕が怒った嫁に土下座する時の噴出量と同様、もしくはそれ以上なのは間違いないのである。
余談だが、昼飯の休憩時間の時、僕も負けじと長年にわたって培ってきたプロの技を見せつけておいた。
それがこのユーコンカワイ奥義「ザック内ぶちまけ弁当」である。
そしてその日の夜は素敵な古民家の宿に泊まり、Wさんの壮絶な半生に耳を傾けた。
その半生の物語はとてもここでは書くことができないが、それは「壮絶」という言葉を今後軽々しく使えないほどの「壮絶」なお話の数々だった。
それはもう百田尚樹あたりが小説にして、岡田准一主演でシリーズ映画化してもおかしくないほどの壮大なストーリー。
そこにある死生観は「リアルを生き抜いてきた者」だけに見える世界。
なんとなく「宮本武蔵ってこんな人だったんだろうな」って思った。
とは言えユーモアもあるし生き方も豪快なので、僕の中では「宮本武蔵と両津勘吉がフュージョンしたらWさんになるな」ってイメージだ。
夏場は郡上踊りで多くの人で賑わう郡上八幡。
Wさんは、毎年その祭りで出る大量のゴミの分別作業にも従事している。
誰もが嫌がるとてつもない重労働だが、Wさんは熊を殺生していることへの恩返しと言って何年もその活動を続けている。
そして熊の殺生に対してあれこれ言う人には「一番目を背けたい部分を他人に任せ、肉食うくせに批判すな」と言う。
全くもって僕も同意見だ。
理屈や言葉にならない世界で戦っている男の世界。
素晴らしい体験をさせていただいた。
11月4日
海なし県人の我が子たちは、悲しいかな川よりも海が好きだと言う。
最近愛知県に帰省すると、お約束のように人気のない海岸に行く。
11月5日
カンムギ内での素敵な「仕事場所」を探すのも僕の課題。
これからの時代、アウトドア×オフィスってもんの可能性を探って行くのも楽しいってなもの。
そんな素敵な「野フィス」はないかと、事務所の裏山「大黒山」の探検に出かけてみた。
まあ実際は寒くて全然仕事に集中できなかったね。
きっと夏は暑くて虫だらけで仕事にはならんでしょう。
11月7日
前回、ついに山県市へと「地域おこし三分の計」を提出した美山ベースキャンプ実行委員会。
そのベースとなるテレワークセンター兼自然体験・分散民泊の受付候補地として、従来の廃園保育園とは別に市から提案があった廃校の小学校の視察に行った。
これ以降、保育園案から小学校案へと切り替え、新たに計画を練り直すことに。
結論から先に言うとこの小学校案は先送り&別案になるわけだが、この視察&検証をきっかけに今後のカンムギ10年計画がより具体的に描けるようになった。
足りないのは金と時間と人…。
夢だけは僕のお腹と同じくらいに膨らみまくる。
この歳になってとことん夢を追いかけられること、それを一緒にやろうと言ってくれる仲間がいる幸せ。
今、夢を追えずに悶々としながら労働と消費だけに人生費やしちゃってるそこのあなた!
美山ベースキャンプはいつでも君を受け入れる準備はできてるぞ!まじで金ねえけど!
11月9日
アウトドアの遊びっていわゆる「非日常」な世界なわけだけど、田舎に拠点ができると「日常化」できるのが個人的にはアツいことだ。
カンムギはとにかく「消費型ではなく滞在型でじっくりと味わって欲しい」場所にしていきたいと思ってる。
過ごし方は人それぞれ自由。
そのためのヒント作りはこれからどんどんチャレンジしていこうと思ってる。
そしてこの日は恒例の月一中学でした。
カンムギは非日常が日常になる癒しの空間。
何をやっても自由だし、何もやらなくたっていい。
自分で楽しめる人は勝手に楽しめばいいし、ヒントが欲しい人はどんどん僕とかを利用してほしい。
「気軽に帰れる第二の故郷」「頑張らないアウトドア」「ディープな里山川体験」
それぞれの提供ができるよう、色々と整備を進めていきます!
11月10日
この日はついに大河ドラマ麒麟がくるに向けた「美濃国戦国ドラまちEXPO」のテスト体験イベントが行われた。
僕は斎藤道三の国盗り総仕上げとなった山城「大桑城(おおがじょう)」のあった古城山登山担当。
今回はメインガイドさんのサポートメンバーとして参加です。
で、午後からは山県市のお隣の本巣市に移動。
本巣市は僕の長期構想「長良樽見トレイル(清流道)」のエリア(郡上・関・山県・本巣)なので、折を見て色々探索しているのである。
いろんな活動と家族(子供)をどう繋げてバランスを取れるかも今の僕の課題。
結構難しい問題だけど、模索の旅は続くのである。
11月12日
この日は去年に引き続き、シェルパ齊藤さんによる山小屋関係者を集めた餃子パーティーにお呼ばれした。
いよいよ山小屋関係者でもなければ、この日は塾長(こもれび山荘)もいない中だったので相変わらずの部外者感はあったが、こんなチャンスも滅多にないからしれっと潜入したのである。
そしてこの日も浴びるように酒をかっ食らい、翌日、二年連続の「地獄の二日酔い」。
去年同様、高速道路上のSAにしっかりゲロマーキングしながら帰りました。
で、帰りにようやく廃車のゴーイングメリー号から荷物を回収できましたとさ。
11月17日
この日はいつもの美山地区ではなく、山県市の大桑(おおが)・伊自良(いじら)地区へ。
自転車好きのBBGのルマンドフジタと共に、大桑城下町サイクリングへと出かけた。
午後からは、伊自良に移動し、伊自良大実柿の「柿渋染め」体験へ。
ここは前回記事で「観光案内サイト改革チーム」の一員として紹介した、元地域おこし協力隊のカキシブKさんが運営する「柿BUSHI」の工房だ。
乾かしてる間、この頃「ナニコレ珍百景」でも取り上げられた近所の「伊自良大実連柿」を見に行った。
僕やデレ・ヤマグチのエリアである「美山(魏)」と、カキシブKさんがいる「伊自良(蜀)」、そして神主Kさんがいる「高富(呉)」。
いずれはこれらの三国を連携させる協議会を作って、山県市全域を上げて盛り上げていきたいと思っております。
11月18日
9月の記事のときに、山県市内の市立保育園児たちを川で遊ばせる取り組みのことを書いたけど、今回はそれの第2回目。
川の時はただの「川に詳しそうな人枠」での参加だったが、先月「自然子どもサポーター研修」を受けたので堂々とサポーターとして参加です。
先生たちはハラハラ顔だったがちゃんと堪えてた。
「危ない!」で静止するのは大人の都合。
子供の解放を抑圧してしまう方が、長い目で見ればよっぽど危険なことなんです。
川の学校でもそうだけど、「子供たちの解放」と「大人たちの見守り力」ってのは僕の中の二大テーマになりつつある。
森や川っていう環境は、それを実践するには最高のステージだと思う。
11月19日
この日は美山ベースキャンプ実行委員会の懇親お鍋会。
会場はもちろん古民家ベースの「水音」だ。
しかし「お鍋会」だというのに、「水道から水が出ない」というまさかに遭遇して「鍋作れねえじゃねえか!」とセルフツッコミするメンバーたち。
ここは沢水を引いてるから、たまに山側で詰まると水が出なくなるのだ(整備予定、金がねえ)。
ってことで急遽ヒップラインKさんのカフェでお鍋会。
なんかこうやって集まっていろいろできるのって、昔のトレンディドラマみたいで個人的に結構憧れてた世界だったりするなあとしみじみと。
毎回書くけど、美山ベースキャンプはいつでも「本気でなんか面白いことしてえ」ってな仲間を募集してますぜ!
11月20日
カンムギに秋がきた。
カンムギのマスコットキャラクター「カメチャン」は、この時期越冬のために暖かい家の中に「移住」してくる。
そして隙間という隙間に身を隠し、じっと冬が過ぎるのを待つのだ。
で、暖かくなった5月くらいに大量に旅立っていく。
旅立ちの時の壮絶な「カメフェス」の状況は、ぜひこちらの記事でご堪能していただきたいのである。
11月22日
この日は美山で木育キャンプなどをやりつつ、今後地元食材を使用したお弁当屋さんをやろうとしているコピーライターの「りんりんTさん」のところに遊びに行った。
炭焼き窯ができた後は、前々から行きたかった参加者のオダさんの家にお邪魔した。
ここではなんと自作のツリーテラスがドーン!
かくれんぼ長崎のエガワさん、ニホンハチミツのマツダさん、ツリーテラスのオダさん、そして物知り重鎮とっさ。
続々と繋がっていくカンムギの頼れる師匠たち。
そしてこれからいろいろ一緒にできそうなりんりんTさんの活動とお弁当。
こうして僕も少しづつヤマガタの人間になっていくのだね。
11月26日-27日
10月にもらった一本の電話からその「歴史的な茶番劇」は始まった。
電話の主はPEAKSの狩猟コーナー「あべちゃん」を連載してる女性編集者のあべちゃん。
「ユーコンさん、“彼女が山着に着替えたら”のコーナーに出た女の子たち5人と山に登って道具紹介の記事書いてくれませんか?」
これには企画モノ男優としての血が騒いだ。
僕は勝手に企画書を作り、そして以下の合成写真を送りつけたのである。
そう、どうせなら僕がイケメン金持ちの「バチェラー」となって、その女性たちに熾烈なデート合戦をさせて女の闘いを演出しようと提案したのである。
正直、半ば冗談、半ば大真面目に提出したら、まさかの「採用」。
これは久々に僕らしい登山(?)ができそうだ。
当初は大菩薩嶺での撮影となっていたが、例の如く天気が悪く、急遽晴れ予報の北横岳に変更。
で、晴れ予報と言いながら登山口への道はいつも通りの展開。
挙句、「落石」のため通行止め。
かなり遠回りして迂回路で行けば「土砂崩落」で通行止め。
仕方なくさらに超迂回していけば、まさかの「落石・崩落」で進入禁止。
なんだ?俺は諸葛孔明の罠にでもハマっているのか?
そのうち林の中から「ジャーンジャーンジャーン」って銅鑼が鳴って奇襲かけられるパターンじゃないのか?
ってなユーコンあるあるをしっかり堪能し、編集さんや女の子たちに散々迷惑かけながら、場所を急遽黒斑山に変更にして準備万端。
現場に着いたら、まずはバチェラーガールズの皆さんのプロフィール写真撮影。
すごい、ここでは女性たちが僕の「ぶりっこな感じで!」「もっとあざとさ出して!」という指示に従ってくれるのである。
家では嫁に「そこのお茶取って」すら無視されるというのに、なんだこの快感は。
試しに「ジョジョっぽい感じでお願いします」と言えば、ご覧の状況に。
実にわかりやすい職権乱用。
ちょっとあまりにも気持ちよく事が進んでいくんで、そのうち草むらからヘルメットかぶったおじさんが「ドッキリ」って書いたプラカード持って出てきやしないかと疑ったほどだ。
そこからは「取材ですから」という大義名分の剣を振りかざし、女性たちに10分毎くらいで入れ替わり立ち替わりで並走してもらっておしゃべり登山。
もはや「ここは銀座の登山者専用高級クラブ“愛罪恋(アイザイレン)”というお店なのか?」と思えてしまうほど楽しい時間だった。
こりゃそのうちいかつい男が現れて「ポッキー一本1万円になります」って言ってくるんじゃないか?
と思ってたら、前方からいかつい男が登場。
で、この山のハイライトである「浅間山の眺望」は、もちろん肝心のところがいつものホワイトモザイク。
この日はそのまま女性陣たちとイタリアンを食べ、ホクホク気分で車中泊。
もしかしたら人生で一番楽しい登山だったかもしれない。
で、翌日は前々から行きたかった富士見町にあるテレワークセンター「森のオフィス」を視察。
ってな感じで僕の公私混同の取材は終了。
その後は自身でページラフデザイン案や、表紙のレイアウトと合成作業まで担当。
ある意味登山史に強烈な爪痕を残したと思っている。
ちなみに子供に見せたら「どういう意味なの?」と言われてしまった。
意味を考えるんじゃない。
これがお父さんのお仕事なんだ。
11月29日
バチェラーで浮かれた代償の後払いが始まる。
この日、久々に「おんせいよぉ〜」で昼ごはん食べようと、ヒップラインKさんと一緒にデレ・ヤマグチの廃校レストランに向かった。
車で校庭に入って行こうとした時、今まで大して風も吹いてなかったのに急に突風が吹いた。
その瞬間、おんせいよぉ〜の看板が外れ、ジャストタイミングで車の真下へ。
そして僕の車はそれを踏んでしまった。
まあそこまでは僕の中ではよくある話だ。
しかし、その看板に唯一ついていた針金付きの「釘」がちょうど上を向いていて、それをピンポイントで踏んでパンクするなんて誰が予想できただろう?
まあいいさ。よくある話だ。
その後、ヒップラインKさんのカフェに行って、夜遅くまで打ち合わせ&各自お仕事。
なんせこの翌日はヒップラインKさんのカフェもデレ・ヤマグチの廃校レストランもたくさんの予約が入っていて、二人ともその準備に追われていたからだ。
その時一本の電話がかかってきた。
「神崎に行く道の道路が突然陥没した!」と。
この神崎に来るには道はたったの一本いかない。
そして「とりあえず仮の鉄板は敷いたけど、明日はこの道は通行止めにします」という通達。
これにより、ヒップラインK&デレ・ヤマグチの苦労は水の泡となり、大損失に。
僕の中ではこれもまああるあるなことだが、あの二人には悪いことをした。
そろそろ「あれ?あいつって実は疫病神じゃね?」と山県の人たちに気づかれ始めそうで怖い。
11月30日
そんな負の男に見せつけるかのように、とある男がハッピーな瞬間を迎えた。
そう、チーム・マサカズ内で「永遠の独身おしゃれ貴族」と恐れられた、あのMr.クズこと「パパラッチK」がついに結婚したのである!
彼の誕生日をサプライズ登山で祝ってあげようと散々準備した挙句、当日の朝にブッチされたことも今となってはいい思い出だ。
という感じの盛り沢山の11月でした。
実は他にもいろいろあったんだが、さすがに10000字を超えてしまったのでこの辺にしておく。
すげえ楽しそうに見えるかもしれないが、見えない部分(仕事や資料作り)もハードすぎてわかりやすくキャパオーバー。
この時期はほとんど寝てないから何度か心身壊してぶっ倒れてな…。
何かから逃れるかのように必死で生きてる感じだけど、人として一皮むけるにはやっぱある時期に負荷は必要なわけで。
サイヤ人だって死にかけて復活してから強くなるし。
ってことでその後もノンストップでいろんな活動は続いていきます。
ではまた12月編で!
くっ、まだ2019年か… 早く追いついてこい、俺。
言葉や書かれてる内容を厳選されてるとは思うんですが、ハプニングや事件を楽しく体験してますよねー。無駄なことや、しょうもない?ことに全力に向き合って、読んでる人らを楽しませるにまで消化されてます。実に素晴らしいです。
不便を楽しむこと、ほんといいですよね。
国盗り物語のズボリなロケーションでまた興奮してしまいました。
有難う御座います。
おっちゃんさん、まいどです!
内容をギュッと詰め込まなきゃいけなかったんで色々説明不足な部分があるとは思いますが、なんとか要所は伝わってるようで良かったです。細かいハプニングをあげたらきりがなくなって、端折ってもこれです…。
とりあえず昔から無駄なこと、しょうもないこと、人がやらないことが大好きだし、そこにこそ人間本来の幸せってある気がするんで、そこにはどんなにくだらなくても全力ですねー。それをそのまま書くので、変に狙ったものより伝わりやすいのかと。
国盗りの世界は大桑城とその城下町の形状見たらより深く味わえます。遺構マニアにはかなりたまらん場所ですよ。いつか、プラタモリとかで、やってくんないかなー。