梅雨の時期ってのは、アウトドア野郎にとっては骨休め期間。
どこまでも突っ走って行ってしまう僕には必要な期間だ。
しかし体を休める一方で、遊びに行けないムラムラが止まらない困った期間でもある。
そこで前回に引き続き、地味に過去の旅をまとめて体内の火照った旅熱を沈静化させる自慰行為を始めるとしよう。
「あん時のアイツ」シリーズ第21弾。
今回は「屋久島横断野郎」の模様をお送りする。
単純に今まで書かなかったのは面倒くさかったから。
当時の記録は写真しか残ってないし、記憶をたどりながら書くのは結構根気がいる。
でも「梅雨モンモン」状態の今ならば書けそうな気がする。
今回はとりあえず予告です。
時は2009年の5月。
実は当時嫁の腹の中にりんたろくんがいる状態で、7月の出産に向けた重要な時期。
かと言って僕がいた所で特に何か出来るわけもなく、そして長く旅から遠ざかっていてストレスまみれでお互いによろしくない状況。
嫁との話し合いの末、GWだけは遊んでよろしいとの有り難いお言葉に思いっきり甘えた。
こうして「ミスター・サイテー」の呼び声高い僕は、その通称に恥じることなく身重の女房を置いて旅立った。
(ここだけ見ると本当最低野郎だけど、ここまで献身的に嫁を支えてずっと遊びに行ってなかったんです。何を言っても言い訳でしか無いけどさ。こんな言い訳しちゃってる時点でもはやミスター・サイテーなんだけどさ。)
まず僕は山田(仮)とともに四万十川に旅立った。(参考記事:最低野郎とうどんと鰹)
そしてたっぷりと四万十川〜仁淀川を満喫し、帰宅後にすぐさま鹿児島に向けて飛行機で飛び立って行った。
GW時の僕の行動力は今も昔も変わらない。
今思えば、了承を得たとはいえこの旅を起点に嫁との上下関係が逆転したように思う。
この旅以降徐々に嫁は変化して行き、りんたろくんの誕生とともに「DSY」も同時に誕生したわけだ。
まあ、それは本編とは関係ないので屋久島の話をしていこう。
という事で次回から「屋久島横断野郎」の始まりです。
まるで記憶残ってないから写真の羅列になりそうで怖いが、まあ梅雨の憂さ晴らしに気楽にご覧下さい。
僕の本格的登山デビュー(当時は登山という感覚はなかったけど)にして、いきなりのテント泊縦走。
今に比べて体力もまるで無い中での無謀な3泊4日の屋久島横断。
そしてやはりこの男。
ネズミに襲われたり、遭難したり、脱水症状に陥ったりのセルフプレイは欠かさない。
そんな彼の哀れな姿を次回から振り返って行こう。
〜屋久島横断野郎1につづく〜
屋久島横断野郎〜プロローグ〜
- 屋久島横断野郎/鹿児島
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