「花山歩道」
何やら素敵な響きのネーミングだ。
確かにそこには色とりどりの花畑が存在していた。
そう、黄泉の国へ一歩踏み入れた時に見えるあの「見えちゃいけない」お花畑だ。
屋久島にはいくつかの登山ルートが存在し、この花山歩道もその一つ。
はっきり言ってこのルートはかなりマニアックなルート。
GW中にも関わらず、実際僕はこのルート上で誰一人他の人間に出会っていない。
屋久島山中放浪四日目。
僕はそんなルートをチョイスして屋久島横断完遂に向けて動き出した。
そして僕はこの花山歩道で山の恐ろしさに直面する事になる。
そんな素人登山野郎の大消耗戦にも注目だ。
(ちなみに今回はろくな写真が撮れていない。写真を撮っている場合ではなかったから)
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本日も僕は起き抜けから疲弊していた。
ここまで溜まりに溜まった疲労が全く抜けてない。
それどころか、昨夜のリアルミッキーマウス達の度重なる夜襲と食料ベッドインによるダメージが色濃く体に刻まれている。
山を歩きなれていない人間が三日も重い荷物を背負って歩き続けると、四日目の朝の気だるさは想像を絶していた。
それでも本日は島横断予定の最終日。
一日に二本しかないバスに間に合わなければ面倒な事になる。
重い体を引きずって本日も不元気に出発だ。
僕が選んだルートは「花山歩道」。
原生林が色濃く残るこのルートに、疲労が色濃く残る男が侵入して行く。
花山歩道は、僕が読んだ本には「原生の姿に沢山出会える屋久島で一番おすすめのトレイル」と紹介されていた。
しかしその一方で「ヒルにも負けない自己責任が負える一人旅のバックパッカーに訪れてもらいたい」とも書いてあった。
まだこの頃はヒルの脅威を知らない頃なので、その2フレーズに惹かれてこのルートを選んだわけだ。
のっけから、中々えぐい感じの登山道だ。
なんせ訪れる人も少ないから、道は結構ワイルドに荒れている箇所もあったりする。
しかし連日の晴天のおかげで、どうやら本日は噂通りのヒル天国ではないようだ。
これなら何とか頑張って下山できそうだ。
(今思えば、もしヒルも出ていたら僕は間違いなく全精神と体力を破壊されていたに違いない。)
そして僕は原生の森に吸い込まれて行った。
やはりどこか異質で威厳に満ちているようにも見え、今までの森の風景とはまた違った雰囲気だ。
こんな写真も残ってたんだけど、正直この写真が横向きなのか縦向きなのかも分からない。
なんだか色んなものが濃くて荒い。
これぞ原生の森の姿か。
ただ単に疲れすぎて風景が歪んで見えているだけかもしれないけど。
時折、眼前にこんな感じのでっかい岩とか現れるからビクッとする。
かつて水木しげる氏が戦地のジャングルで突然巨大な岩の壁に出くわし、それを元にあの「ぬりかべ」が誕生したそうだが、きっとこんな感じだったんだろうか?
太古から変わらない森の中でこのようなものに出会うと、命が宿って見えるからつい衿を正してしまう。
何か僕の後ろめたい事全てを森に見つめられているような気分だ。
道はさらに深く深く森に吸い込まれて行く。
今までの登山道と違い、人一人分の細い道が続いて行く。
もうこの頃には重い一眼レフカメラはバックパックに入れて、サブカメラでの撮影がやっとだ。
今振り返って当時の写真を見ていると、この花山歩道分の写真がとても少なくて記憶もほとんどない。
大分僕は体力的に厳しい状態だったと想像することが出来る。
たまに己撮りで現れる男の姿には疲労感が漂っている。
アホみたいに口を半開きにして、今にも口元からエクトプラズムが流出して行きそうだ。
そしてそんな僕の精気を吸い込む、見た事もない原生の植物たち。
今にも「キシャッーー!」と叫んで僕に食いついて来そうで恐ろしい。
木なんかも地中からうねりながら生えて来たみたいで、岡本太郎的な世界観を演出する。
こういう迫力ある原生の森に接していると、色んな事がどうでも良くなって来る。
バスの時間がどうとか今日中にゴールしなきゃなんて気も削がれて行く。
やがて理屈ではなく「ただここにいる」って感覚だけが自分の中に宿る。
社会の機械から動物だった自分に戻る瞬間。
しばらく僕はこの巨木の下でのんびり過ごした。
とても神聖な時間を過ごした。
「一人旅のバックパッカーに訪れてもらいたい」というあの本の言う通りだ。
自然と対話するには一人である事が重要だ。
その後も進んで行くと、急にちょっとした広場に出る。
「花山広場」だ。
ここまでずっと狭い道を歩いて来たから、この空間には非常に癒された。
またしても大休憩で、メシを食らい、ボケーッとし、周辺を徘徊する。
そう、この程度でいいのだ。
僕はここでもたっぷりと休憩し、30分ほど原始の森に包まれて仮眠を取った。
やがて、この二度に渡る大休憩が僕に思わぬ変化をもたらした。
信じられない事にとんでもなく体が軽くなり、体の底から力がみなぎって来た。
あれほどあった疲労が吹っ飛んでいる。
僕はとてもテンポよく進んで行き、やがてあまりの体の軽さについに走り出す。
自分でも信じられないほどに体が疲れなく、どこまでも走って行けそうだ。
すごい、すごい。
僕は猿のように山中を駆け下りて行った。
当時の僕はこの不思議な現象を「これは屋久島の自然のパワーなんだ」と思って感動しながら走っていた。
しかし今思えば、僕はこの時いわゆる「クライマーズハイ」の状態に陥っていたと思われる。
あれだけ蓄積された疲労が、たかが30分の仮眠で取れるわけはないのだ。
そんな事も知らず、ヤクシマーズハイに侵された男は嬉々として山中を風のように走り抜けて行く。
そして男は自らを死地へ追い込んで行ったのだ。
いつの間にか道があり得ないほどにワイルドになって行った。
道はどんどん不明瞭で曖昧なものになっていき、酷い段差や倒木のオンパレード。
さすがにこれはおかしいぞと、僕は走るのをやめる。
でも一応登山道用のピンクのテープもあるし、道は間違っていないだろうし他の道もなかったように思うし。
いやに急斜面だが、この先にもテープが見えるから進んで行く。
しかし進むにつれ、さすがの初心者の僕にもヤバい感じがこみ上げて来た。
やがて「崖」という決定的な結果となってそれは僕に現実を知らしめる。
もうどう考えてもこれ以上進めない。
「やばい、戻ろう」と思って振り返ると、風景はまるで違ったものに見えて、自分がどこを降りて来たのかも分からない。
この時、僕は初めて自分が「遭難」した事を思い知って背筋が凍り付いた。
下って来た急斜面も、下りは何とかなってもまた登って行くとなると信じられないハードさだった。
死にそうになりながらも何とかテープがある所まで戻るが、やはりテープを見ると方向は合っている気がしてならない。
そしてまた下ってみたりしたり、やっぱりダメだと諦めてまた登ったりの繰り返し。
そしてここで僕のヤクシマーズハイ状態が唐突に解除された。
急激に襲って来た疲労感で、体が鉛のように重くなる。
頭の中はもはや大混乱だ。
僕はその場に倒れ込んで全く体が動かなくなってしまった。
そして恐怖が僕を一気に支配する。
ここでの下り登りのハードな繰り返しで、もうすっかり飲み水も底をつき始めていた。
そして我慢できずに最後の一滴を飲み干してしまう。
分からない道、動かない体、底をついた水分。
ここは滅多に人が来ない花山歩道。
「絶望」が僕に忍び寄って来た。
激しい不安に押しつぶされそうになりながらも、僕はその場でじっと体力の回復を待った。
気持ちばかり焦るけど、ただただ待った。
次第に動けるだけの体力を取り戻し、再び登り出す。
もうとにかく分かる場所までひたすら戻ろう。
最悪、鹿之沢小屋まで戻るしかない。
テープを辿りながら、歯を食いしばりながらの急登・急登・急登。
やがてテープが二手に分かれた。
ついに正しい道が見つかったのだ。
どうやら僕は突っ走りすぎてその方向へのテープを見過ごしていたのだ。
直角に曲がらなきゃ行けなかった所を、この手前のテープめがけて突っ込んで道無き道を突き進んでいた。
でもこの先にも確かにテープはあったので、紛らわしい事この上ないテープだった。
まあ、山を走って目測を誤った自分がすべて悪いけど。
これでひとまず助かった。
しかし体力の限界と飲料水ゼロという状況に変わりはない。
もうこの時点で軽く口の端に泡を吹いている状態だ。
ここからは脱水症状との戦いだ。
そこからの僕はもはや落ち武者状態だった。
背中に矢でも刺さってるんじゃないかというほどにフラフラになった男が、トレッキングポールだけを体の支えに下山して行く。
頭の中ではビールやコーラなどの冷たい炭酸系飲料だけが支配する。
もう気分は減量中の力石徹だ。
次第に炭酸飲料の欲も薄れて思考回路は「水」一本となり、文字通りゾンビのような状態になっていく。
ある種無我の境地だ。
随分と長い時間、その危ういお花畑の中を彷徨う。
そしてついに花山歩道を突き抜けて林道に達した。
僕はここで全ての荷物を投げ捨てて、地面に倒れ込んだ。
もはや人間としてこの疲労と脱水症状は危険な状態だ。
しばらくこの場所で死んでから、再びゾンビはもぞもぞと動き出す。
二ヶ月後には子供が生まれるんだ。
こんなとこでお父さんは脱水死している場合ではない。
少し歩いた所で小川を発見。
生水を飲んじゃダメなどのたわけた考えはぶっ飛んでいた。
僕がこの水に突っ込んで行った事は言うまでもない。
みるみる干し椎茸のような感覚の体に命が宿って行く。
キン肉マンの肉の字が白から黒になっていくあの感じ。
屋久島の恵みが、遮るものも何もなく僕の体に浸透して行った。
そんな馬鹿っぽい僕を、ヤジ馬の鹿が不思議そうに見ている。
それともこいつは僕を迎えに来ていた神の使いだったのかもしれない。
悪いが僕はまだそっちの世界に行くわけにはいかない。
ここからの林道も実は結構長かった。
やがて海が現れ、僕は道路に出て下山を完了した。
ついに屋久島横断を達成した瞬間だ。
しかしあまりの衰弱ぶりに、達成感も充実感も何も感じない。
本来であればこのまま海に降りてガッツポーズで記念撮影って所なんだが、そんな気も起こらない。
というのも僕はこの時、新たな絶望感に満たされていたからだ。
一日に二本しかないバスがもうすでに終わっている時間だったのだ。
ここから最寄りの町までかなり距離がある。
でも行くしかない。
僕はトボトボと道路を歩き出した。
延々と、延々と、延々と道路を歩き続ける。
もう文字通り足は棒となり、引きずるように突き進む。
壮絶すぎる。
でも僕を突き動かしていたものがある。
そこには「本当のゴール」があるのだ。
やがて栗生の町まで辿り着いた敗残兵一匹。
迷う事なく第一町人を発見し、売店はないかと問う。
ボロボロの男は最後の力を振り絞って売店に向かった。
そして僕はその売店で「栄光」を購入。
メタリックな輝きに満ちたその栄光には「アサヒスーパードライ」と刻印されている。
僕は慎重にその栄光の500mlを抱えて海に向かう。
焦る気持ちを必死で抑えながら、聖火リレーの最終走者のように胸を張りながら。
いい感じの場所に腰を下ろし、一度気持ちを落ち着かせる。
そして姿勢を正し、震える指でその「栄光」のプルタブをカシュッと押し込む。
栄光の中は黄金色に輝く勝利の液体で満たされ、僕の体内に収まるのを今か今かと待っている。
屋久島横断達成万歳!
僕はその栄光の聖水を一気に体に流し込んだ。
途端、僕の体を電流が疾走し、体中の五臓六腑達がベートーベンの第九を高らかに歌い出す。
細胞から神経までが歓喜に包まれる。
のどごしという名の弾丸が爽快に喉を突き抜け、僕のハートを何度も打ち抜いた。
これこそ本当のゴールだ。
こうして僕は文明世界に帰って来た。
4日間の壮絶な屋久島横断の旅が終わったのだ。
色々と御託を並べて来たが、究極この一杯の為に僕は旅をしているのかもしれない。
栗生の町からはさすがに何本かのバスが出ていた。
屋久島は勝手に野宿できないからキャンプ場まで移動しなくてはならない。
僕は安房の町までバスに乗って行き、番屋峰キャンプ場でテント泊。
普通のキャンプ場なんだが、僕にはそこが高級ホテルにすら思えた。
こうして死線を彷徨った四日目が終了した。
屋久島横断を達成した今、翌日の五日目に僕のする事は決まっていた。
もちろん休養なんてしない。
横断の後はやっぱり「一周」だ。
こうして翌日からは屋久島一周が始まります。
と言ってもさすがにレンタルスクーターでだけどね。
「限界まで遊び尽くす」
その思いは今も昔も変わっていない。
〜屋久島横断野郎5へ つづく〜
屋久島横断野郎4〜死線の果ての黄金〜
- 屋久島横断野郎/鹿児島
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