前回は屋久島上陸から白谷雲水峡侵入までを振り返ってみた。
やっぱり書いていても色んな部分での記憶がぶっ飛んでいる。
でもカメラケースを割った事や、しんどかった事や、恐怖の夜の事はやっぱり覚えているもんだ。
良い事はすぐ忘れるのに、こういう事ばっかりしっかり記憶に留まって行くんだな。
というか良い事あったのかどうかも疑問だ。
でも実は何気に天気良いんだよね。
屋久島は「一年のうち366日雨が降る」と言われるほどの多雨地帯。
そんな島に「降水確率0%でも雨が降る」でお馴染みの僕が突入。
結果、降って当たり前の場所では雨が降らないという新しい研究結果を導き出した。
正直、雨の屋久島をトコトン楽しもうという意気込みで多くの雨対策グッズを持参していた。
それらは皆不要の長物となり、「重さ」となって僕の肩に食い込む事になる。
そして僕は雨のような汗を流す事になり、結果的に雨が降らなくてもズブ濡れになっていくという新境地を開拓した。
それでは二日目の模様を振り返ってみる。
いよいよ縄文杉さんのご登場ですな。
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僕は朝から激しく疲弊していた。
昨晩は一人きりの白谷小屋での「もののけナイト」。
歩きなれていない僕の疲労は凄まじかったにも拘らず、恐怖のあまり寝たのか寝てないのか分からないような夜を過ごした。
まるで疲れが取れてないばかりか、輪をかけて体がだるい。
棒ラーメンを食いながら、この先やっていけるのかと不安でいっぱいだった事を覚えている。
それでも本日も歩き出す。
森は相変わらず生々しい姿を晒し、その息吹で旅人を包み込む。
見る人間の感性次第だが、昨晩の恐怖が残る僕はこいつらがモンスターにすら見えたりする。
これなんてもがきながら死んで苔が生えた怪物に見える。
森は何もしていないが、旅人自身の感情が森を恐怖の対象にもするし、癒しの空間にも変化させる。
やっぱりここの森は不思議な感覚を旅する者に与えてくれるようだ。
こういう気持ちで森と向きあうには、やはり一人で旅をするのが好ましい。
途中、よせば良いのに寄り道をする。
寄り道と言っても、「太鼓岩」という場所を目指してガッツリ登ってまた戻って来るというハード寄り道。
体力は無くても、溢れんばかりの好奇心がその場所の素通りを許さない。
ゼヒゼヒ言いながら登って行き、やがて太鼓岩と呼ぶにふさわしいポッコリとした岩の上に出た。
今までずっと森の中を彷徨っていただけに、この突然の突き抜けた風景が心に染みた。
ここからの眺めは壮観で、森密度は森光子級の重厚感で僕の眼下に広がった。
こりゃ体力の大消耗と引換えにしてまで登って来て良かった。
やっぱり旅の基本は寄り道だね。
寄り道するもしないも全て自分の自由。
目的地だけ目指してひたすら進んで行くのは粋じゃない。
そんな言い訳をしつつ、クタクタの僕は寝転んで早くも大休憩。
誰もいない、自分だけの世界。
気持ちのいい風と匂いと、周りに広がる悠久の大自然。
僕の眼前には空と森しかない。
激しい疲労はあるけど、そこには何のストレスも迷いも無い自由な世界が存在していた。
多分この時じゃないかな。
「歩き旅」の魅力に取憑かれ始め、後に四国お遍路や登山野郎へと変貌するきっかけになったのは。
そう言う意味で、僕は最初のステージに屋久島を選んだのは正解だったのかもしれない。
かと言ってもこのまま寝転んでいると本気で寝てしまいそうだった。
いくら寄り道がオツだと言っても、寝てしまったら寝返り打って滑落死コースだ。
さすがに僕はそこまでフリーダムな男ではない。
再び下山し、元の登山道に戻った。
暫く進むと、バサリと別の登山道に出た。
そこの道には沢山の人がいて、突然森から現れた僕にビックリしていた。
どうやら観光客が縄文杉を目指す王道コースに合流したようだ。
いやに人がいないなと思っていたら、みんなこっちの道を進んでいたんだね。
この道はトロッコ道になっていて、今までがウソのように歩きやすい道になっていた。
歩きやすくなったのは嬉しいんだけど、急に人が増えてちょっと戸惑う。
久々に「今GW中だったな」って思い出す。
ツアーのお客さんが多いから、団体さんが前後にいると自分のペースが保てない。
さっきまで散々一人で自然と向きあって来ただけに、ちょいと馴染めない空気感。
まあ、こればっかりはしょうがない。世界遺産だもの。
暫くはそんなトロッコ道を進んで行くが、やがて大株歩道に到達すると突然登山道はハードな急登区間に突入。
ここからは非常にしんどい登山が始まる。
なんとなく記憶があるが、本当に立ってられないぐらい僕はここで打ちのめされたのを覚えている。
今ならそれ程苦じゃなく登って行けるだろうけど、なんせ当時は体力ゼロの豚野郎だ。
やがて「翁杉」なるものが現れる。
まるでラピュタの根っこのようだ。
このまま天空に向けて飛び立って行きそうではないか。
巨木にまとわりつく蔓が、まるでむき出しの血管のように見えるのでリアルに気持ち悪い。
今更「森が生きている」なんて安っぽい言葉は言いたくはないが、ここの森は確実に息をしていると感じることが出来る。
その後もわしわしと登って行く。
徐々に神が住む核心部に近づいているのか。
神々しい屋久鹿達も姿を現し始める。
こういう場所で見る鹿は妙に威厳に満ちているように見える。
やがて屋久島の目玉の一つ「ウィルソン株」がドッシリとその身を晒して来た。
写真では分かりにくいだろうが、この株は非常にデカい。
秀吉の大阪城築城の際に切られたとされているが、それがなかったら縄文杉よりもデカかったんじゃないか。
僕ら世代からすると、ケントとともに一世を風靡したチャック・ウィルソンを連想するがもちろん関連性はない。
柔道でならしたチャックだったが、ウィルソン株の迫力とは比べ物にならない。
その大きさ故、そのまま株の内部に侵入できる。
そこには祠がひっそりと佇み、よりその神々しさを演出する。
上部からは祠に向かって木漏れ日が差し込み、汚れた僕の心も浄化して行く。
そしてお約束の見上げポイントから見上げると、その穴はハート形に見える。
今まで幾度と泣く女性に入れあげてもそのハートを奪える事はなかったが、ここでは見上げるだけで手に入る。
実に安いハートだが、ここまで来るのが大変なんです。
ウィルソン株からさらに進んで行くと、頭上から「大王杉」が僕を見下ろして来た。
このように遠くから撮影しないとその全貌が納まりきれないほどのデカさ。
縄文杉に向けて、いよいよ異質な雰囲気になって来た。
そしてついに僕は「縄文杉」まで到達した。
目の前にもの凄い迫力で太々しく鎮座する縄文杉が現れた。
彫られていないのに「仁王像」のような迫力に満ちている。
重々しくて力強いその姿は、まさにラオウそのものだ。
しかし残念な事に縄文杉の周りは人工の足場が設置されていて、見事な「観光地」と化していた。
世界遺産になって多くの人が押し寄せて来るから、保護上の問題で仕方のない事だろうけど。
十何年前に来た人なんかは、この木の麓でテント泊したなどという贅沢な話があるだけに切ない光景だ。
なんだか縄文杉自体の迫力は凄いんだけど、自然の息吹を体感できる環境ではなかった。
よっぽど朝の太鼓岩で寝そべってた時の方がズバズバと内面に染み込んで来た。
それでも、そんな人間の都合など我関せずと悠然と佇む縄文杉の姿はとても美しかった。
救いなのは、僕にとってこの縄文杉がゴールではないってこと。
多くの人がここを目標にして縄文杉を見て帰って行くが、僕にとってはあくまで通過点。
考え方の問題だけど、そう考えるととても豊かな旅に思えて来るから不思議だ。
僕はさらに奥へ奥へと侵入して行く。
濃密だった森は、空に近づくにつれ徐々に荒々しい姿になっていく。
再び周りには人がいなくなり、ピリっとした一人の時間がやって来る。
二日目も終わりに近づき、少しづつ僕の心と体が落ち着く場所に居座り始める。
体はしんどいが、とても豊かな時間だ。
やがて本日のテント泊地、新高塚小屋に到達した。
小屋の前はテント泊用に非常に奇麗に整備されている。
もちろん世界遺産の森なので、山中で勝手にテントは張れないから指定の場所にてテントを張る。
そんな僕の姿を、森の奥の方から鹿が眺めている。
僕はそんな鹿を眺めながらラーメンを食う。
とても良い時間。
ここは昨日の白谷小屋と違って、周りに人がいるから助かった。
いくら一人で自然と対話したいからと言っても、もうもののけ達と対話するのはご免だ。
この日はさすがに溜まりまくった疲労と、人がいる安心感からかあっという間に眠りに落ちた。
この時点でまだやっと島の中間地点あたりだが、僕の疲労感はゴール手前の状態だ。
明日からは本格的な「登山」が始まる。
島の横断なんて出来るかどうか不安だが、横断しないと帰れないから進むしかない。
まだまだ先は長い。
〜屋久島横断野郎3へ つづく〜
屋久島横断野郎2〜岩上の悟り人〜
- 屋久島横断野郎/鹿児島
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