槍ヶ岳/長野

槍ヶ岳4〜涙の頂上決戦〜

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槍の穂先で遠方を見つめ黄昏れる男。

男の胸に去来する感情は感動なのか恐怖による絶望なのか。

その後ろ姿からはまだその感情を読み取る事が出来ない。



20数年の時を経て再び相まみえた両雄。

槍はあの頃のままの姿で男を恐怖に陥れたのか?

それとも成長した僕は、見事に当時のトラウマを払拭し槍をねじ伏せる事に成功したのか?


男の勝利への足跡を振り返ってみよう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


東鎌尾根の激戦を突破し、ついに我々は槍の足下に辿り着いた。

見上げた先には米粒のような人間どもが這いつくばっている様子が見て取れる。

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きっと芥川龍之介はこの光景を見て「蜘蛛の糸」を書き上げたに違いない。

登山者がみんな地獄から這い上がろうとしている亡者に見える。

しかしこの高所恐怖症という地獄から這い出る為に、これは避けては通れない試練なんだ。


しかし槍はそんな僕の意気込みをしょっぱなからへし折ってくる。

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試合開始直後から早くも僕の顔から笑顔が消えた。

槍はあの頃のままの姿で「さあ、遊ぼうよ」と無邪気に僕を誘ってくる。

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僕の脳内シュミレーションは100%の確率で「滑落」のエンディングに吸い込まれて行く。

普通にこれ、落ちるでしょ。危ないよ。


まだ戦いは始まったばかりだというのに、僕の喉の渇きはすでにピークだった。

恐ろしさでカラカラの喉から「ひゅ〜、ひゅ〜」という細い呼吸だけが漏れてくる。


上を見上げれば吐き気を催す光景しか目に入らず、

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下を見れば絶望的な絶景だ。

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今日ばかりは思わざるを得ない。

なぜこんなにも晴れてしまったんだと。


もはやスタート時の意気込みは粉々に吹き飛んでいた。

そこには勇ましさのカケラも無く、ただの高所恐怖症のおっさんの姿しか見られなかった。



場所によっては素晴らしい景色が目に入る。

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しかし今の僕にとってこの景色は、恐怖を増長させるスパイスでしかない。

そして追い討ちをかけるように奴がその姿を現す。

20数年前に散々僕を苦しめた「ハシゴ」だ。

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こいつを見た途端、当時の恐怖が蘇る。

この時、もう僕は泣きそうになっていた。

いや、もう泣いていたかもしれない。


それでも絵に書いたような「腰が引けてる」状態で果敢に登って行く男。

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呪文のように「僕は一階から二階に登っている。そう、ここは所詮二階なんだ」と自分に言い聞かせる。

とにかく下を見てはダメだ。

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手がガクガクと震え、喉が痛い程に乾きまくる。

今下を見たらそのまま卒倒して滑落し、そのまま天国へのハシゴに手をかける事になること請け合いだ。


やがて道が二手に別れ、男前コースと腰抜けコースに別れた。

果敢に男前コースを行く勇者B旦那。

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ここが分かれ目だ。

今こそあの頃の軟弱だった自分に別れを叩き付けるチャンスではないのか?

ここで男前コースを華麗に突破すれば、僕は新しい自分を手に入れることが出来るのではないか?

トラウマを払拭するビッグチャンスの到来だ。


僕は勇ましく「Bさん、僕もそっち行きます!」と高らかに宣言。

男前コースにその歴史的な一歩を踏み入れた。


しかしその一歩が途端に恐怖の大波となって僕に降り注いだ。

ヘビの前のカエル、ヤリの前のマゾ。

体は硬直し、ケツの穴はふわりと緩む。

そして歴史的敗北宣言。

「Bさん、やっぱり無理でした!」


高所恐怖症の克服どころか、恐怖症の自信が確信に変わった瞬間だった。


僕は大人しく腰抜けコースへ。

しかしこちらのコースは腰抜けコースではなく「腰が抜ける」コースだった。

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絶壁恐怖のトラバースからの鎖場へ。

正直縦方向の動きよりも、横方向の動きのが怖い。

結局どっちのコースも高所恐怖症男にとっては絶望ルートに変わりはない。

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もう僕は滑落前から生きた心地がしない。

このまま幽体離脱して俯瞰で自分を眺められそうな程に、精神と体のバランスは混沌としていた。

ふと振り返ってみれば、相変わらず吸い込まれそうな光景が広がっている。

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岩に書かれた矢印がすべて「ゴー・トゥー・ヘル」を暗喩している気がしてならない。

頭の中の未来予想図は死へのランプが5回点滅し、「オ・チ・テ・イ・ク」のサインを送り続ける。


もうこうなったらダメだ。

頭の中は悲劇的な妄想で支配され、体の自由が奪われて行く。

そんな中、頂上への最後の難関が現れる。

僕にトラウマを植え付けた張本人の「ラストのハシゴ」たちだ。

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ここを登りきれば槍の頂点だ。

しかし登る前から僕は精神限界の頂点に達していた。


このハシゴ、岩との距離が短すぎて足の置き場がつま先しかない。

そのいつズルッと行くか分からない緊張がプラスされ、手足の震えが止まらない。

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かろうじて残された筋力でなんとか失禁を防ぐのがやっとだ。

今気を緩めたら、即座にジョンジョワーだ。


槍の穂先で美しき虹を描くわけにはいかない。

とにかく下を見るな。

ここでジョンジョワーしたらりんたろくんが「お前の父ちゃん、ヤリションで新聞に載った人だろ」といじめられてしまうかもしれない。

そう、ここは息子の為に強いお父さんとして登りきるんだ。


そしてついにこの時を迎えた。

槍の穂先に到達したのだ。

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狭い槍の頂上で腰が抜けたように倒れ込む。

壮絶な槍との戦いが終わり、気がつけば360°周りを囲んだ大観衆から拍手喝采の嵐。

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富士山や穂高岳などの錚々たる面々が惜しみない拍手を両選手に送った。

20数年前と変わらぬ恐怖で相対した槍ヶ岳と、20数年前と変わらぬ弱腰で挑んだ僕。

二人の間には熱い友情が芽生えていた。


僕は槍の健闘を称え、彼の元に歩み寄る。

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そして優しく彼を持ち上げる。

20数年前の僕を持ち上げるように愛を込めて。

そしてここに長い年月の穴を埋める、歴史的な和解の瞬間が訪れた。

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正直この場所に立つだけでかなり恐ろしく、軽く僕のパンツは濡れていたはずだ。

それでも槍ヶ岳との20数年越しの和解を遂げたことで満足していた。

結局高所恐怖症は克服出来なかったが、ここに来たことに意味がある。


改めてみんなとも記念撮影。

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上から見るとこんな感じ。

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今この記事を書いててもケツがムズムズする。


狭い山頂に次々と人が登ってくるからそうのんびりもしてられない。

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さあ、そろそろ下山だ。

実は下山にこそ真の恐怖が潜んでいる。


登りは上ばっか見ているからいいけど下山は下ばっか見ることになるから、その失禁率たるや想像を絶するものがある。

このハシゴを降りる第一歩の恐ろしさは筆舌に尽くし難い。

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登りで精根尽き果てた僕にとって、この下りは地獄の黙示録。

頭は真っ白で、ほとんどの記憶を失っている。

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薄れいく意識の中で、徐々にゴールが見えて来た。

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そして無事に安全地帯まで到達した男は、

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歓喜のガッツポーズを披露したかと思うと、

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静かに息絶えた。

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死して屍拾う者なし。

激しすぎた緊張から解き放たれた男は、大地の有り難さを噛み締めるように死んで行った。

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我々はこの憐れな男の死に様を忘れない。

高所恐怖症はどこまで行っても高所恐怖症のままだと証明したこの男の死に様を。


戦友槍ヶ岳も、祝福の陽光を惜しみなく男へ降り注ぐ。

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しかし気の毒な事に、このボロボロの男にこの先待ち受けるのは地獄の下山タイム。

実はこの時点で、まだ一日が始まったばかりの早朝。

ここからは再び10時間越えの灼熱下山で、ガラスの膝と靴擦れパラダイスとのシャル・ウィー・ダンス。


登りとは別のコースでの下山で、上高地へと抜けるコース。

気の遠くなるような長い長い北アルプス脱出への戦いが始まった。



槍ヶ岳5へ 〜つづく〜



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コメント

    • アツシ
    • 2012年 8月 15日

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    槍ってこんなに滑落紙一重マウンテンでしたっけ!?
    高所恐怖症でない僕でも、写真を見てるだけでキャンタマちゃんがキュ~っとなりました(笑)
    先輩の死に様…(。-艸-。)
    どなたか「ザオリク」を唱えた訳ですねww

    にしても、B旦那さまの奥様ぁ!!
    女性&山経験が浅いにも関わらず、笑顔で槍登頂!
    マジ、すごいっす!!

    ここから10時間越えの灼熱下山…想像しただけで…(((;゚;Д;゚;)))
    皆様、よくぞご無事で!!ww

    ---------------–
    僕も越百~南駒ヶ岳の日帰り縦走も考えましたが、越百の山頂でパワーゲージが点滅し始めたため、あえなく越百ピストンにしました(笑)
    山頂からは富士山も見えて、最高でした!しかも山頂独り占め!ww
    いつか小屋泊して空木~南駒ヶ岳~越百の縦走してみたいっす!

    • yukon780
    • 2012年 8月 15日

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    槍ヶ岳はこの穂先まではなんら危険個所は無いんだけど、最後の最後で持ってくるんだよね。エグいのを。
    でもみんな「せっかくここまで来たんだし」という理由で登って行くんだよねえ。
    正直、この穂先だけの登山ならお断りの山ナンバーワンだよ。
    高所恐怖症の人じゃなければ、結構平気で行っちゃう人は多いようなんで是非再度トライを。
    というかこんな所に素人の高校生を登らせる変態高校の気が知れんわ。

    そして人間は極端な安堵で死んでしまうんだね。
    我がパーティーは「ザオリク」なんて高度な呪文は使えず、せいぜい「ザオラル」どまり。
    半分の確率でなんとか復活しても体力は全快出来ない。
    なのでここからの下山が正直一番キツかった。

    B女房は体力や経験よりも好奇心で登るニュータイプなので別格です。
    後に「槍の穂先の下りが一番楽しかった」と言ってました。
    クレイジーです。

    空木~南駒ヶ岳~越百の縦走は今回の夏休みに企んでたコースです。
    結局天気悪くて諦めたけど。
    その内遠征宣言する時に、タイミングが合えば是非一緒に行きたいですね。
    毎度、事前の天気予報見て唐突に決めるから中々厳しいかもしれませんが。
    そして城西野郎なら小屋泊とは言わず、ハードにテント泊と行こうじゃない。

    • B旦那
    • 2012年 8月 17日

    SECRET: 0
    PASS: ec6a6536ca304edf844d1d248a4f08dc
    >アツシさん
    はじめまして、B旦那です!
    ちょっと補足しておきますね。

    yukon780も書いている通り、うちの嫁は狂っていますね。
    笑顔だったのは[色:FF0000]命のやり取り[/色]が発生した槍の穂先部分のみです。
    表情の割合は以下のように分類されます。

    疲労顔 49%
    怨み顔 50%
    笑顔 1%

    ほぼマイナスのオーラにあてられて、
    僕の寿命は大幅に縮んだことでしょうね。

    空木~南駒ヶ岳~越百の際には僕も参加したいです!
    それでは。

    >yukon780
    ブログの更新もう少しですね!
    がんばって更新してね。楽しみにしてますよ。

    • アツシ
    • 2012年 8月 19日

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    >B旦那様!
    こんにちは、はじめまして。
    yukon先輩の直系の後輩にあたります、アツシと申します。
    ご丁寧にコメントまでいただき、とっても嬉しいです!!

    笑顔チャート拝見しました(笑)
    まさか、笑顔が1%だったとは・・・∑(;゚Д゚ノ|
    どんなに苦しくても笑顔で登る「登山会のマリア様」だとばかり想像しておりました(笑)
    まさか、あの笑顔は怨念&疲労からくるクライマーズ・ハイだったなんて・・・((;OдO))

    でも、皆さんのキャラがとっても素敵で、いいチームだなぁとブログを拝見するたびに思っております。※若干Mよりなのは気になりますが・・・(笑)

    yukon先輩、B旦那様にお声掛けいただき、感無量です!
    ご迷惑をお掛けしないように、体力作りしておきますので、是非是非「空木~南駒ヶ岳~越百」縦走遠征の際はご一緒させて下さい。
    テントとシュラフも買わなきゃ・・・$$$

    先輩!最終章、楽しみにしております(≧ω≦)b

  1. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    すごい広大な景色ですね。
    癒されますー

    • yukon780
    • 2012年 8月 20日

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    ありがとうございます!
    実際はもっと広大で素晴らしく、そしてしんどい山ですよ。
    是非行ってみてください!

    • yukon780
    • 2012年 8月 20日

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    お、さっそくB旦那との接触。

    僕のブログに登場してしまう事になると、みんな変態寄りに描かれてしまうのがこのブログの恐ろしい所です。
    アツシさんも一緒に行く時は覚悟して心の準備をしておいてください。
    何かをやらかすとそれがそのままあだ名になってしまいます。
    たまに出て来るチームマサカズの「ゲリM」のように。
    ※ちなみにこのゲリMもあなたの先輩ジョンボーですよ。

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