寒い。
やっぱり頂上はとても寒い。
早く風のない場所に避難しなくてはならない。
しかし僕にはこの頂上でやらなければいけない大事な儀式が残っている。
僕はザックの中から、ゴソゴソとアイツを取り出す。
そいつは真のゴール、真の頂上。
人は何のために山に登るのか。
その答えがここにある。
それは「アサヒスーパードライ」だ。
缶のプルタブを開けると「ボシュッ!」と破裂。
気圧でパワーアップした黄金水は、すごい勢いで僕に降りかかる。
極寒の中での意図せぬシャンパンファイト。
ハンパなく冷たい。
そして僕は一気に黄金水を体内へチャージ。
驚きの冷たさ。
突き抜けたのは爽快感ではなく、必要以上の寒気。
たちまち体内の温度はキリリと冷やされ、僕は瞬く間に体の芯からの寒さに打ち震える。
間違いなくミスキャスト。ここはやはりウイスキーが妥当だったか。
僕はわざわざこんな余計に重くて、体を一気に冷却してしまうものを4時間近くも背負って来たのか。
しかし、これは聖なる儀式だ。途中でやめるわけにはいかない。
結局ビールなのにちびちびと飲み続け、なんとか飲み干した。
飲み干した頃には、僕は鼻水をたらしながらガクガクと震えていた。
いったいこの儀式は何だったのか。
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そして僕はこの寒さを少しでも凌げる場所を探した。
「蝶ヶ岳突風ナイト」の教訓を生かし、景色がいい場所よりも、とにかく風を凌げる場所にいる事が重要だ。
結局、塹壕のようなゴミ捨て場のような堀の中に身を隠した。
今、山岳救助の人が通りかかったら、僕は救助されてしまうかもしれない。
風は凌げるが、なにやら実に惨めになる場所だ。
防寒着を着込んで、あとはただただ逃亡者のようにジッと身を潜める。
足先も冷えて来て、とってもつらい。
靴の中用ホッカイロをセットしたが、まるで暖まらない。
冷え性の僕はご来光まで生きていられるだろうか。
とにかく食事をとる事にする。
まずは暖かいものを食べよう。
おや?
ガスストーブが点火しない。
何度パチンパチンやっても火がつかない。
高山ではつきにくいというのは本当のようだ。
しかし、こんなときの為にライターを持って来ている。
禁煙したからといって、そこはぬかりはない。
なぜだ。
ライターがつかない。
今になって思えば、電子ライターだったのがいけなかったんだろうか。
必死で何度もライターをカチカチする。
むなしく響くのはガス缶のガスの音だけ。
この時の切ない気持ちと言ったらどうだ。
堀の中に「カチカチカチカチカチカチカチ」という悲しい音が響き続ける。
寒い。切ない。お腹すいた。孤独だ。
みんなはまだだろうか?
頂上で集合という事になっているからそろそろ誰か着いても良さそうなものなのに。
携帯を取り出してみるが、やはりソフトバンク。見事に圏外だ。
連絡手段がない。
狼煙を上げようにも、火さえ着かないこの無力感。
ひょっとして何かトラブルでもあって、みんなで引き返してしまったんだろうか?
誰かが高山病に冒されてしまったんだろうか?
それとも、実は僕は隠しカメラで撮影されていて、みんなは登ると見せかけて5合目の駐車場特設モニターで僕を観察して笑っているのではなかろうか?
僕はまさかはめられてしまったのか?
やっぱり本当の登山日は来週で、今日はみんなで僕をだましているんではないか?
きっとみんなで「アイツほんとに登っちゃったよ」「うわっ、鼻水たらしてる」って言いながら笑ってるんだ。ポテチとか食いながら笑ってるんだ。
そのうち、そこいらの物陰からヘルメットをかぶった人が出て来て「ドッキリ大成功」の札を持って現れるんじゃないのか?
いかん。しっかりしろ。
目まぐるしく被害妄想の渦の中に引きずり込まれて行く僕。
寒さと孤独は人を惨めな存在に変えてしまう。
みんな。疑っちゃってごめんよ。ごめんよ。
そうこうしてると、何十回目かのカチカチでガスに火がついた。
やっと暖かいものが食べられる。
正直、この時に飲んだみそ汁がビールよりもはるかにうまかった。
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メシを食って一息ついた辺りで、次第に夜が開ける気配がしてきた。
僕は即座に荷物をまとめ、塹壕から這い出た。
しまった。
僕が避難して被害妄想の世界にいた間に、後続で登って来た人にすっかりご来光のベストポジションを取られてしまっている。
仕方なく、頂上直下の奥まった崖に移動。
スペースがあまりない場所だったので、とても写真が撮りにくい。
優雅にご来光待ちしている僕をセルフタイマーで撮っているが、実際僕は崖のギリギリの所に立っているのですごく緊張していたりする。
ふいに頭上を見上げて驚いた。
なんだあのUFOは。何事だ。
ついに奴らも、一般的な人体実験が大方終わって、「マゾの生態」というマニアックな分野に進出して来たのか。
このままではキャトルミューティレーションされてしまう。
などとは少しも思わなかったが、実に不思議な雲だ。
笠雲ってやつで、富士山頂によく出現するやつだ。
なんだかとっても得した気分だぞ。
だんだんテンションが上がって来た。
次第に空は明るくなり始め、眼下に目をやれば雲海が広がっているではないか。
今まで、ひたすら暗闇の中を這い回っていただけに、実にしびれるものがある。
ご来光間近のオレンジ色と、宇宙に近い夜の名残の深い群青が混じり合いとても幻想的な光景が広がって行く。
ああ、なんかやっと実感がわいて来たぞ。
僕は富士山の頂上に登って来たんだ。
17時間前くらいまでは普通に仕事してたのに、なぜか富士山頂な現在の自分の状況が中々面白く思えた。
人間やれば何とかなるもんだ。
頂上山荘の富士館が見える。
そこから数十人の人がみんなでご来光がまだかまだかと見ている。
さては、みんなあそこにいるんじゃないだろうか?
さあ、そしていよいよ「その時」がやってまいりました。
来るぞ来るぞ。
来マシター。
ついにこの瞬間を迎える事が出来た。
悪天候男にとって、ご来光なんて伝説上の絵空事かと思っていたが、今確かに目の前に完璧なご来光が姿を現した。僕にとっては珍事だ。
一人で喜びを噛み締める。
そう、なにせ一人だから「うおー」とか「すげー」とか言う相手がいない。
僕は静かに少しうなずくことしか出来なかった。
でも、これはこれで好きだったりする。
山荘付近の人たちは、歓声を上げたり、抱き合ったり、握手してたり、ガッツポーズしてたり。
なるほど。
いいじゃないか。富士山。
たまにはこんな旅もアリですな。
火口のお鉢周りでも人がいる。
なにやらシルエットが美しい。シルクロードのようだ。
そして僕は改めて、山頂の石碑に行った。
数時間前に撮った写真は暗闇で、あまりに華が無かったから改めて登頂写真を撮るんだ。
すでに数人の人がこの剣ヶ峰山頂にいた。
僕は一番写真を撮るのがうまそうな奴を見定めて、撮影を依頼した。
位置的には、ご来光、頂上石碑、笠雲、そして「満面の笑み」を浮かべる僕が写るはずだ。
そして撮られたのがこの写真。
強烈な逆光で、僕の「満面の笑み」が見事にシルエットの中に埋没している。
もはや僕なのかどうかも分からない。
再度撮影のチャンスを待っていたが、続々と人が登って来たので退散です。
再び剣ヶ峰を降りて行く。
結局みんなは頂上に来る事は無かった。
果たして僕はみんなに会えるんだろうか?
〜富士6苦フェス4へつづく〜
富士6苦フェス3〜ひとりぼっちの夜〜
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MATATABI BASE
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いやー、最高の天気だったのですね。
違うブログに来てしまったかと思いました(笑)。
登山客もけっこう多いですね。
むかしは7、8月に登っていた人が、
富士登山ブームに弾き出されてオフ前に登るようになったのでしょうか。
しかし久々に見るといい場所ですね。
うちにもりんたろくんみたいな男児がいますから、
彼が4歳になる来年あたり、連れていってみようかなと思います。
では、続編を楽しみにしています。
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そうだったんですよ。
僕も書きながら、いつもと雰囲気違うからとまどいましたよ。
ある意味ご期待を裏切ってしまった感がありますが、僕個人は非常に楽しめました。
下山までは。
前にも9月に登った人も言ってたけど、やっぱり結構人が多かったみたいです。
いよいよ静寂派には厳しい山になって来たのかもしれません。
僕もいつかりんたろくんを連れて行きたいと思ってます。
しばらくはいいですけど。
そしてひそかに早退したツケが来てて、中々思うように記事が進まなくて四苦八苦しております。
仕事の合間合間に2,3行書いて行くという画期的なやり方なので、多々話が繋がってない部分もあるかもしれません。
でも、早く書かないとあっという間に物事を忘れてしまうので、がんばって書きますね。
ありがとうございます。