「本年は大人しくする」宣言からわずか1日。
何故か足の痛みと戦いながらボロボロの体で早朝の長良川を眺める男がそこにいた。
やはり男は、早くも走り出してしまったのだ。
1月2日の早朝。
男は起き抜けから唐突に思い立つ。
人生初の「フルマラソン42.195キロ」へ挑戦してみようと。
もちろん大会に出るわけではなく、一人で静かに走り出してそっと帰って来るロンリーマラソン。
誰からの声援もなく、そして誰一人感動させる事も無い新春ストイックタイム。
新年一発目のマゾり初めとしてこれ以上無い企画物だ。
しかしこれは男が導き出した「大人しくお正月を過ごす」為の深謀遠慮。
このロンリーマラソンによって、もう「山に行きたい」などという考えすら浮かばない程の肉体破壊を達成する事がこの企画の目的。
放浪病という不治の病に冒されている男にとって、このくらいの荒療治をしないと大人しく正月を過ごせるわけが無いのだ。
箱根駅伝級の涙のエンディングに向けて男は走り出した。
それではそんな彼の、フルマラソン初挑戦の模様を振り返って行こう。
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まだ真っ暗な早朝。
誰からも注目を浴びない「新春ロンリーマラソン」が静かにスタートした。
平和な新年の早朝の闇を一人のマゾが切り裂いて行く。
この先に待つものは栄光なのか、後悔なのか?
そもそもランニングの過去最長記録は25キロ。
どう考えても完走出来る気がしないが、挑戦する事に意味はある。
しかしこれは完走が目的ではなく、全身を破壊する事が目的のフルマゾソン。
記録や記憶よりも「気絶」こそが最も目指すべき最高到達地点だ。
そして、実にいい案配でスタートから調子が良くない。
たいがい走り出した時に「あ、今日は調子がいいぞ」と分かるもんだが、明らかに大晦日のヘビーな仕事の影響からか体が重い。
そして早くも足が痛かったりする。
こいつは春から縁起が良いぞ。
目指すは遥か先の岐阜城がそびえる金華山の麓の「信長像」。
以前25キロで大惨敗した時の長良川北上ルート。(参考記事)
その時は「緊急の書状を岐阜城のお館様に届ける足軽役」という妄想テーマで頑張ったものだが、今回はお館様への新年の祝賀挨拶。
気の短いお館様だから、早く行かないと首を刎ねられてしまう。
しかし我が家に信長以上の気の短いお館様がいる僕としては、ここで首を刎ねられるわけにはいかないのだ。
やがて長良川越しに僕の本年の初日の出。
ううむ、美しい。
正直ランニングなんてやめて、カヌーで川を下って行きたい衝動に駆られる。
でもそんな浮ついた考えが出て来る余裕があるって事は、まだまだ肉体破壊が不十分な証拠だ。
今後大人しく育児に専念する為には、何も考えられなくなるまで心身を燃やし尽くす事が重要だ。
やがて走りやすく整備された道で一路信長像に向けて突っ走る。
しかし驚くべき事に、この時点ですでに足がとても痛くなってきてる。
正確には痛いというか突っ張ってるって感じ。
確実に普段のランニング時よりも調子が悪い事この上ない状態だ。
痛くて疾走出来ないが、早くも「後悔」という文字だけが頭の中を快適に疾走する。
これが日程が決まっているマラソン大会だったなら「調整失敗」といった場面だが、これは勝手に走り出した一人マラソン。
いくらでも自由になるんだから絶好調の時に挑戦すれば良かったものを、「新春」というタイトルが付けたかったばかりに無理をした皺寄せが今僕を襲っている。
それでも歯を食いしばって走り続ける。
古い町並みの川原町を駆け抜け、
やがて金華山の登山口が見えて来た。
ここで猛烈に「このまま登って行きたい」という衝動に駆られる。
足を痛めたフルマラソン中にも関わらず、なんともマゾな煩悩に支配された情けない感情。
こんな事ではまだまだ大人しく育児なんて出来ないぞ。
なんとか登山の誘惑を振り切って岐阜公園内に侵入。
お館様の場所まであと少し。
そして公園を出て信長公に無事拝謁。
グハグハ言いながら無事に新年の祝賀の挨拶をする事に成功。
この時点で17キロ地点。
心身が感じている達成感とは裏腹に、まだ半分の距離も走っていないという事実が重くのしかかる。
やはり少々無理があったか?
しかし無理とマゾは承知の上で始めたこのご乱心。
まだまだ走るぞ。
そして再び黙々と走り続ける肉体疲労男。
しかしここで思いがけない方面からの刺客が襲いかかる。
出る時は100%だったiPhoneの充電が、なんとこの時点で30%になってるではないか。
最近電池の減り方が尋常じゃなくなっている我がiPhone。
すっかり最近は充電が一日もたなくなっていたが、まさか2時間半でここまで減ってしまうなんて信じられない。
激安スーパーの夕方タイムセール並みにあっという間に70%オフだ。
このままではGPSの記録が取れない。
そんな事になれば、ただでさえロンリーなこの一人マラソン大会の不毛感がより一層激しくなってしまう。
そして同時に音楽も聴けなくなるから、今後20キロ以上が無音のストイックラン。
ゴールした頃には、恐らく悟りの一つでも開いてしまっているだろう。
電池式充電器を買わねばならない。
ここからは充電切れの恐怖を感じながら、コンビニを探すランニングタイムに突入。
川沿いの道から街まで走って行くと何とかコンビニを発見。
全身から湯気を出して足を引きづりながら、息の荒い汗だく男が店内へご入店。
平和な朝のコンビニ内に現れた新春変態男。
電池残量18%で、何とか電池式充電器と行動食を買う事に成功。
これでなんとかストイックな悟りを開く事態は免れた。
しかしここでの無駄な出費により、リタイヤした時に家まで交通機関で帰るために持って来たお金が底をついた。
これぞ己の甘さに打ち勝つ為の「背水の陣」。
もはやフルマラソンを走り抜いて完走する他に勝利の道は無い。
しかしそんな悲壮な覚悟に付随して、僕の足の痛みの悲壮感もみるみる上昇。
いよいよ一歩一歩の衝撃がマゾには堪らないビートで襲いかかる。
ヤンキーの車のウーハー並の痛みの重低音が、ドムドムと僕を疲弊させて行く。
ここで「本当に膝がヤバい時に登場するアイツ」が登場。
仙丈ヶ岳の下山の時に登場して以来の強烈なサポーターでがっしり固定。
何故ここまでして走らねばならんのか?
まるで引退間際の角番大関「霧島」のような悲壮感じゃないか。
自分の中のセコンドは必死でタオルを投入しているが、いかんせん帰りの電車賃は無い。
タオルは空しく再び場外に吐き出され、レフェリーは気付かない。
最悪前回25キロでリタイヤした時みたいにお義父さんに車で迎えに来てもらう事になる。
それだけはマスオとしては冒してはならないミス。
あの時は家族総出で迎えに来られて平謝りした苦い記憶がある。
そして嫁から「歩いて帰って来い」「お前が悪い」「自業自得だ」「周りに迷惑をかけるな」という罵声のマシンガン攻撃で蜂の巣になる大惨事だった。
絶対にそれだけは避けなくてはならない。
フルマラソン完走は無理だとしても、意地でも自力で家まで辿り着いてみせる。
しかし自己最長を越す26キロ地点から、右足の内側くるぶしの下あたりが猛烈に痛い。
何度も立ち止まってはストレッチを繰り返し、とにかく足を前に進めて行く。
顔を歪ませ、足を引きずりながらの根性ランニング。
これが24時間テレビのマラソンなら、その悲壮感は人々の涙を誘う名場面となっていたはずだ。
しかし残念ながらこれは勝手にやってるロンリーマラソン。
僕に向けて「負けないで」を歌ってくれる物好きは一人として見当たらない。
やがて30キロ地点を突破。
気持ち的には8回目くらいの「サライ」の合唱が終わったくらいの限界感。
もはや痛みで走る事は出来ず、歩く事が精一杯。
そしてついに31キロ地点で力尽きた。
無念にまみれてついに嫁に電話。
そして予想通りに「アホじゃないの?」「発想が小学生だわ」「己を知れ、この乳首野郎」などといった罵倒のわんこソバ攻撃に晒された。
フルマラソン失敗で失意にくれる旦那を慰める気はさらさら無いどころか、心の傷口にハバネロを塗り付けるようなこの仕打ち。
もうすっかり足の痛みなんて吹き飛ぶくらいの、新たなる心の痛みとのご対面。
このマラソン会場には給水所はなく、給S所だらけのマゾには嬉しいコース設定のようだ。
数十分後、お義父さんは出かけていたのでお義母さんが車で迎えに来た。
そして惨めに車内に収納されたボロボロのマゾ養子。
お義母さんは何も言わなかったが、恐らくとんだ養子をもらってしまったと思っていたのかもしれない。
家に帰ると、驚く程の無感情な嫁の氷の視線が出迎えてくれた。
壇上で一人ピエロのようにボケ続ける男と、もはやツッコミする事すら拒否した女の新春夫婦漫才。
このショーは喜劇なのか悲劇なのか?
こうして羞恥と屈辱にまみれて僕の挑戦は幕を閉じた。
結果的にフルマラソン完走は果たせなかったが、当初の予定通り「肉体と精神の完全破壊」を達成。
これでしばらくは動く事もままならないので、大人しく正月を過ごすことが出来るだろう。
こうして今日も男はその荒ぶる牙を研ぎ続ける。
来るべき育児時代突入に向けて。
新春ロンリーマラソン2013
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MATATABI BASE
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