今年もやって来た恒例行事。
年始のマゾり初め。
フルマラソン完走を目指す「新春ロンリーマラソン」の開催です。
未だにフルマラソンの完走を達成できていない男。
前年の新春ロンリーマラソンは無念の31キロ地点でのリタイア。
泣く泣く車で迎えに来てもらおうと嫁に電話した挙げ句、「アホじゃないの?」「発想が小学生だわ」「己を知れ、この乳首野郎」などといった罵倒のわんこソバ攻撃に晒された苦い思い出。
そして綺麗に肉体と精神の完全破壊を達成し、大人しく正月を過ごす事に成功したという華々しい戦いだった。(参考記事:新春ロンリーマラソン2013)
もちろんフルマラソンと言えど今年も大会なぞには参加しない。
あくまでもひっそりと一人で走り始めて、人知れずひっそりと完走してしまおうという「ロンリーさ」がこの行事のオツな所。
しかも今年の彼は「絶賛胃腸風邪中」という病み中人間。
どう考えても完走なんて無理な状況だが、それでも男は走り出す。
あくまで彼が目指すものは完走よりも「フルマゾ損」。
年始早々、フルにマゾって骨折り損を楽しむという縁起物の行事。
果たして彼は悲願のフルマラソン完走を達成したのか?
おごそかに振り返ってみよう。
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元々は新春ロンリーマラソンなんてするつもりではなかった。
胃腸風邪がやっと治りかけていた所だったし、無理せず大人しく過ごす予定だったのだ。
しかし僕の郷里愛知県岡崎市への帰省にあたり、本来は家族4人で帰省するはずだったが、今年はこーたろくんが風邪を引いていたため僕とりんたろくんのみの帰省となった。
最初は大人しく、僕が小さい頃遊んだ近所の公園で遊んでいた。
しかしここでふと僕の中に新年一発目の悪魔の囁きが聞こえる。
おい、そこのマゾ野郎
明けましておめでとう
さあ、お前の天敵の嫁がいない今がチャンスだぞ
ここぞとばかりに実母に甘えてりんたろを預けてしまえよ
そうすりゃ心置きなくお前一人でマゾれるじゃないか
走っちゃえよ
胃腸風邪なんて調度良いマゾスパイスじゃないか
駆け抜けてしまえよ、お前のふるさとを
見せてくれよ、お前の男気を
次の瞬間、いつものように意識を失う男。
そして次に目が覚めた時。
彼はランニングスタイルでスタートラインに立っていた。
正月は大人しく胃腸風邪の治療にいそしむはずだった男のまさかの行動。
スタートラインに立つこの男も「なんて事だ」という驚きの表情。
しかし事前にランニング用具一式持って帰省している時点で確信犯の色が濃厚すぎるが、あくまでもこれは悪魔にそそのかされた結果なのである。
まあ胃腸風邪って言っても、どうも軽い胃炎だったっぽくて思った程グッタリしてないから何とかなるだろう。
そんな事よりも、嫁がいなくて実母に甘えられるこの素敵な一瞬を逃す手は無い。
箱根駅伝で優勝した東洋大の選手も、腕に「その1秒を削り出せ」って文字を書いて奮起してた訳だし。
嫁がいたら僕の命が削り取られるばかりだが、ここなら1秒でも多くの自由を削り出せるかもしれない。
ここは無理してでも、遊べる時は1秒でも多く遊んでやるのだ。
こうして何かを大きく間違えてしまっている病み中男は、ついに走り出してしまった。
郷里岡崎にて開催された「新春ロンリーマラソン」の開幕。
トータルで10個の思い出チェックポイントを巡る旅。
思い出の地をめぐりながら、マゾの血をめぐらせる戦いだ。
※マラソンの記録と言うよりただの思い出話です。暇な人だけ読んでください。
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スタート直後から早くも体の異常を訴える選手。
一歩一歩の重さが尋常ではない。
もはやこのまま「42.195m」でリタイアしてしまいそうな勢い。
クリスマスの仙丈ヶ岳以来、全く運動していないばかりか病床に臥せっていた末の一発目だから当然の結果だ。
それでも歯を食いしばって走り出したこの男の勇姿に観客からは早くも温かい拍手。
中には涙ながらに「頼むから誰か彼を止めてやってくれ」と訴える者もいる。
しかし彼は止まらない。
何故なら彼はマゾだから。
やがて第1チェックポイントに到達。
それは「元カノの家の前(写真は近所)」だ。
郷土大会ならではのこのコース取り。
そしてそのままその彼女とよくイチャイチャした公園を通過。
今になってよくよく思い出してみると、当時の彼女も中々のサド女だった。
そして同時に猛烈な束縛ガールだったので、僕は常に自由を追い求めていた。
やがてそんな束縛ガールと別れた事がきっかけに、僕は解き放たれるようにカヌーにのめり込んでカナダくんだりまで放浪する事になる。
そして時は巡り巡って現在。
再び僕は囚われの身になって自由を追い求めている。
言ってみればこの公園こそ、輝かしい我が奴隷輪廻人生のスタートの地と言っても良いのかもしれない。
今も昔も変わらぬ己の不甲斐なさを嘆きつつ、第1チェックポイントを通過。
そしてそのまま矢作川沿いの堤防へ到達。
ここで当時は無かったけど、最近になって出来たという「12号大門河川緑地」へ。
フルマラソン挑戦中だからと言って、このような「カヌー発着ポイント」のチェックを怠るわけにはいかない。
ここでカヌーの発着が出来るのなら、今後の矢作川ツーリングの際に非常に重要な拠点となるからだ。
濁流に押し流された木材や船が散乱するワイルドな現場だったが、なんとか川にアクセス可能な様子。
これにて葵大橋〜矢作橋間の中間点に発着ポイントを確定。
これには今後の帰省時の子連れカヌーに光明を見いだした気分。
矢作川は綺麗な川ではないが、周りに山も無ければ高い建物もないから個人的には「空が広い川」として気に入っている川だ。
しかしこの余計な寄り道プレイで随分と無駄な体力を消耗。
こんな事している時点で完走する気が無い気もするが、その後も鞭打って堤防を走ります。
何やら徐々に重々しい空模様になっている気がするが、いつもの事なので気にしない。
やがて第2チェックポイント「日名橋」に到達。
この橋は僕の中で、別名「身分を分ける橋」と呼んでいた橋。
この橋を境に、西に僕がいた「岡崎城西高校」があり、東に「岡崎西高校」がある。
当時の城西高校は「寄るな城西、触るな三河」と謳われた変態男子校で、地元民から若干馬鹿にされていた。
一方で西高は共学の高校で、一般的にイケテル男女が通う青春が溢れた高校。
なので西高は城西を忌み嫌い、城西は西高を羨望と嫉妬の眼差しで眺めていた。
そんな二つの高校の生徒が自転車通学時にすれ違うのがこの「身分を分ける橋」。
僕はここで西高の奴とすれ違い様に自転車が接触した時、思いっきり蹴っ飛ばされた切ない青春の記憶がある。
そしてそいつは「チッ、ジョンボー(城西ボーイの略)が」と吐き捨てるように言い放つ。
ここで僕は抵抗も出来ず、ただただその「土佐の上士と郷士」的な身分の差に悔しい思いをしたものだ。
そしてよせば良いのに、身分の差もわきまえず中学で同級生だった西高の女の子に3年間片思い。
やがて高校卒業時に電話でその子の実家に電話し(もちろん最初に出たのはお父さんだという拷問)、告白した挙げ句に相手の沈黙に耐えきれずに「ごめんなさい!」と言って一方的に電話を切ってしまったという淡い思ひ出が蘇る。
もちろん、身分不相応に姫に恋した哀れな奴隷にその後の発展等は何もなかった。
そんな記憶を蘇らせながら、今や郷士から奴隷へと身分を変えた男が日名橋を駆け抜けていく。
なんだかとても甘酸っぱい気持ちになってしまったのは、そんな淡い思い出のせいなのか?
それとも疲れ過ぎて胃酸が出過ぎてしまったのか?
若干ウプッとなりながらも次なるチェックポイントへ。
第3チェックポイントは、そんな思い出の母校「岡崎城西高校」でございます。
今や男子校スタイルが撤廃され、軟弱な共学高校になってしまった我が母校。
天体観測用のドームが自慢の校舎だ。
しかし僕が在学中にこのドームを使用させてくれる事は一度としてなかったという、ただの客寄せドームである。
そして僕の自転車の「サドルの部分だけ」が盗まれた事のある駐輪場も当時のままだ。
乗る前に気付いたからいいものの、知らずに乗っていたら僕のケツは流血にまみれた事だろう。
この学校は「学力上昇」よりも「男度上昇」に力を入れていた男塾。
受験を控えた3年生の夏に「夏山合宿」と称して、素人の生徒達を無理矢理槍ヶ岳や奥穂高岳に登らせてみたりするようなドS高校だった。
もちろん普段の体育の授業も、当時地元民から「囚人服」と言われた体操着に身を包み、ひたすらにこの堤防を走らされた。
そして時間内に帰って来れなかった生徒は、先生によってことごとくこの「川」に落とされるのだ。
もちろん季節は冬。
今そんな事をやったたら社会問題だ。
僕はここで「男度」と「マゾ度」を徹底的に叩き込まれたのだ。
そして時は巡り巡って現在。
立派に世界的なマゾピニストに成長した僕は、今自ら望んでこの堤防を走っている。
しかも病み中なのに。
当時の恩師にこの逞しく成長した卒業生の姿を見てもらいたい。
そして言ってやりたい。
僕の青春を返してください、と。
やがて第4チェックポイント「矢作橋」を越え、
橋の上から巨大なオカザキの地上絵を満喫。
川原に大きく書かれた「誕生日おめでとう」の文字。
恐らくこれをサプライズで彼女にでも見せてやろうという魂胆だろう。
共学で浮かれてしまったジョンボーあたりの仕業か。
先輩として一言だけ言っておく。
最初に頑張りすぎると後々大変になるからやめておきなさい、と。
やがて第5チェックポイント、八丁味噌の蔵として有名な「カクキュー」に到達。
NHKの朝の連ドラ「純情きらり」の舞台となった所ですな。
この頃には僕の疲弊度も八丁味噌のようにすっかり熟成されていた。
もうすっかり完走できそうにないコンディションに対して、いよいよバタンキューで絶望きらりな状況。
それでもまだ男の連続マゾ小説は止まらない。
そのまま郷土の英雄・徳川家康に新年のご挨拶。
第6チェックポイント「岡崎城」に到達です。
最近では徳川家康の居城というより「オカザえもんの居城」というイメージになってしまった岡崎城。
しかし三河武士の精神を受け継ぐ岡崎出身者としては、まさにここは心のよりどころのお城。
「決して敵に背を向けず、前のめりに倒れて死んでこそ三河武士」という教訓を元に、僕は今でも全力でマゾ道に邁進して前のめりに死んでいる。
そして故郷に錦を飾った三河マゾが、そんな日頃のマゾを評価されて家康公からのご褒美を賜ることになった。
この段階で「雨」という身に余るご報償にあずかる事が出来たのだ。
この「病み中」+「限界疲労」に新規参入して来た「雨」。
実に新春らしい松竹梅。
弱った体に嬉しい1月の冷たい雨。
染之助染太郎風に言わせていただければ「いつもより多めにマゾっております」と言ったおめでたさだ。
いよいよフラフラ感が激しくなり、各所の関節が喜びの悲鳴を上げ始める。
それでも彼は第7チェックポイント「康生(こうせい)」に到達した。
今ではすっかり寂れてしまった、岡崎市民が愛する繁華街・康生。
僕が小・中学生の頃は、若者はここの「シビコ」で買い物をするのがオシャレとされていた街だ。
当然ヤンキー全盛期でもあったあの時代、この康生の裏通りにはヤンキーが溢れていた。
中学生の時、たまたま一緒に行った友達が突然そこにいたヤンキーに唾を吐いた。
もちろんキレたヤンキーはすごい形相で僕たちを追ってくる。
僕は何も関係ないのに逃亡する羽目に。
やがて僕は友達とはぐれ、裏通りから先回りしてきたヤンキーによって捕縛。
そこで殴られた挙げ句、所持金2200円をカツアゲされたという青春の武勇伝が溢れる素敵な街だ。
そんな切ない思い出を堪能しながら、松竹梅の三重苦男の新春ランは続く。
全く人の気配のない商店街の中、オカザえもんだけが沿道から僕を応援してくれている。
せっかく全国区のゆるキャラが誕生したのに、いまいち活用できていない岡崎市。
家康以来400年ぶりに現れた英雄を持て余しているようだ。
やがて第8チェックポイント「伊賀八幡宮」へ。
僕のような生粋の岡崎人ともなると、やはり春の「家康行列」に参加する事は憧れの一つ。
その家康行列のスタート地がこの伊賀八幡宮だ。
僕は三年連続でこの家康行列に参加し、1年目「足軽」、2年目「鉄砲隊」、3年目「馬回り武将」と出世街道まっしぐらだった。
今では万年家庭内奴隷だが、この当時の僕には勢いがあったのだ。
鉄砲部隊の時は、僕の鉄砲だけ音も煙も出ない不良品の鉄砲。
見せ場の一斉射撃では、僕だけ不発で観客の失笑を買ったものだ。
もちろん馬回り武将(有名武将の馬の回りを囲む武将)の時は、馬のウンコ(できたて)を踏むという大技も披露。
もちろん草鞋へのうんこの食い込みっぷりは凄まじく、僕は終始素晴らしい香りに包まれていた。
そんな思い出の場所、伊賀八幡宮。
そろそろ僕に家康の役をやらせていただけないだろうか?
そんな思いにふけっていると、第9チェックポイント「大樹寺」へ到達。
このお寺は徳川家の菩提寺として有名なお寺で、そのお寺の横にある「大樹寺小学校」は僕の母校だ。
この大樹寺の門からは岡崎城が見え、この直線上に高い建物を建ててはならないという岡崎市民の掟があるというほどの大切な寺だ。
余談だが、この小学校の地下には抜け道のようなものがあるらしく、それをテレビ取材に来たのが何故か「高橋名人」だった。
もちろん当時「高橋名人の冒険島」や「バグってハニー」などのゲームに夢中で、日夜「シュウォッチ」で連射の腕を磨いていた僕としては大興奮。
当時の僕のヒーローは、この高橋名人とゆでたまご先生だった。
なので基本的に小学生の頃の僕は、ファミコンやってるか新しい超人のイラストをゆでたまご先生にハガキで送ることに明け暮れていたのだ。
おかげで現在40歳手前にもなって、未だに九九の6の段以上が言えないという信じられないアホな大人になってしまった。
でもロマンだけは人一倍。
ゆでたまご先生に超人が採用される事はなかったが、大人になって自らが変態超人「キン肉マゾ」になる事に成功。
今はただ、大樹寺小学校の在学生に「夢は諦めなければ叶うんだよ」と言ってやりたい気持ちで一杯だ。
なんて事をしみじみと考えながら、大樹寺の奥へ。
第10チェックポイント「松平家のお墓」でございます。
ここには家康の父や祖父等、松平家8代のお墓がある。
そして当然家康のお墓も。
家康のお墓と言えば日光東照宮が有名だが、実は「お墓」という形で供養されてるのはここだけ。
そんな由緒あるお墓だが、ここを訪れる人はほとんどいない。
実は僕は小中高時代、願い事や悩み事があるとこの薄暗い墓地を訪れては天下の家康と1対1で相対したものだ。
何か辛い事があった時も、家康公は優しく僕を包み込んでくれた。
そして現在、大人になっても僕はまたここに戻って来てしまった。
そして静かに家康公のお墓に手を合わせ、目下の重大な悩み事を打ち明ける。
「もう…これ以上走れません。リタイヤしてもいいすか?」と。
するとフワッと風が横切り、まるで「もういいよ。早く帰れよ。」と言っているように感じた。
そう、これは体がしんどいからリタイヤするのではない。
あくまでも家康公からの帰還命令なので致し方が無い事なのだ。
こうして僕のフルマラソン完走への挑戦は終わった。
なんと驚くべく事に「15km」しか進んでいなかったという情けなさ。
フルマラソンどころか、もはや普段のランニングよりも走れなかったという哀れな結末。
ただタイトルに「新春」という文字が入れたかったばかりに、無理した挙げ句に大失敗に終わった2014年大会。
こんな事なら胃腸風邪が治りかけてたんだから、ゆっくりお正月を過ごせば良かったのだ。
この後、昼飯を食った直後に突然胃にキリキリとした痛みを発症。
その痛みは中々おさまらず、ひたすら悶え苦しむ事に。
男は新年早々、腸炎からの胃炎プレイに突入したのだ。
やがて晩飯。
31日に岐阜ですき焼きを食べ、元旦にも岡崎ですき焼き。
そして大量に肉が余った事で、この日が3度目のすき焼き。
ただでさえくどい上に胃炎まで併発している僕には、もはやこの「すき焼き3DAYS」完走はフルマラソンをも越える拷問でしか無かった。
しかしこのすき焼きこそ、この新春ロンリーマラソンの最終難関。
母さんは肉食わないし、りんたろくんも2切れくらいしか肉を食わない。
なんとか僕が一人で肉を食いきらないとこの戦いは終わらない。
しかし胃炎の僕には、もはや完走は絶望的だ。
そんな時にたまたま近くの山で登山をしていた男達を捕獲した。
それがこのニヤニヤしながらやって来るキツネ目の男と、Mr.オクレのお二人だ。
まるで手を繋いでいるかのようなこのホモ感。
仲間のピンチに颯爽と現れたのは、チーム・マサカズのゲリMと矢作Cでございます。
僕が実家に帰っている事を知った彼らが、丁度いいタイミングで「遊び行っていい?」と電話して来たのだ。
これは飛んで火にいる新春肉処理班。
まずは「肉代を体で払え」と命じ、母さんの調子の悪かったパソコンの修理をさせてみた。
ゲリMも「肉食いに来なよ」と言われたて来たら、何故かパソコンの修理をさせられて戸惑っているようだ。
そして矢作Cに至っては、なぜか怪獣役としてりんたろくんの相手をさせられる羽目に。
りんたろくんも、この突然現れた赤い珍獣に興奮気味だ。
こうしてひとしきり働いてもらった後で、ご褒美のすき焼きを与えてみた。
まさか自分たちが肉処理班として呼ばれたと思ってない2人は、実にホクホク顏で肉にむさぼりついていた。
やがて車を運転しないゲリMが我が母の餌食に。
彼は見事に酒豪の我が母に捕まり、わんこそば状態で酒を注がれ続ける無間地獄へ突入。
そして「もう食えません」と言っているにもかかわらず、次々と母によって新しい食材が有無を言わさずに鍋に投入されて行く。
やがて酒が入った母さんのマシンガントークによって2人は蜂の巣状態に。
とても見ていられない程に、我が母の過去の山の武勇伝を一方的に聞かされ続けていた。
最終的にゲリMと矢作Cが「ごちそうさまでした」と言って我が母に頭を下げる様は、僕からはまるで「もう勘弁してください」と言っているように見えた。
たらふく肉を食ったはずの彼らは、なぜか肉を食う前よりもゲッソリとしていたという。
こうして仲間の力を借り、僕は「すき焼き3DAYS」を見事に完走。
これにて2014年度の新春ロンリーマラソンは無事に終了だ。
本年度も素晴らしいスタートが切れたようだ。
「結局アンタ15キロしか走ってないじゃないか」という外野の声が聞こえて来そうだ。
しかしここでもう一度言っておこう。
あくまで僕が目指したものは完走よりも「フルマゾ損」。
年始早々フルにマゾって骨折り損を楽しむという縁起物の行事。
故にこれは大成功なのである。
というわけで。
こんな私ですが、
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
新春ロンリーマラソン2014
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MATATABI BASE
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