心が冷えきった男に寒風が吹きすさぶ。
ここまでの思いがけない試練の数々が男の脳裏を駆け巡る。
力自慢で知られるバッファローマンだが、彼はその反面で「試合巧者」の異名を持つ超人。
彼の策に見事にはまり、まんまと前日からの先制攻撃をノーガードで打たれ続ける挑戦者。
もはやその男には体力も精神力も尽きかけ、さらに余計な13万円によって財力も時間も尽きると言う過酷な状況。
にもかかわらず、彼はまだ「登山口」に到達しただけの状態。
本戦はまだ始まっていない状態にして、早くもグロッキーな挑戦者。
しかし、男にはもはや失う物は何も無い。
下山開始限界時間は「12時半」。
そのタイムリミットまでは残り2時間半。
アイドル超人の底力を見せつける時が来たようだ。
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ついに雨乞岳登山を開始したグロッキー男。
一合目とは思えない疲労感を引きづりながら、悲壮感たっぷりで楽しさゼロの旅立ちとなった。
そしてさすが鈴鹿一の遭難率の山だ。
雪ですっかり登山道が分からない。
木にくくられた目印のピンクのテープだけが頼り。
中2の時にピンクなビデオテープに必死に食らいついた頃のガッツを思い出しながら、目を細めながらピンクを見失わないように進んで行く。
景色が斜めっているのか、僕が疲労で斜めっているのかも分からない。
そんな不安一杯の僕にメシア(救世主)が現れた。
こんな日に雨乞岳に登っているマニアックな男は僕だけではなかった。
一人の先行登山者が見事なトレースを雪上に刻んでくれていたのだ。
これ以上無いガイドさん。
無言で「俺に付いて来い」と言っているような足跡だ。
ひょっとしたらこれも試合巧者のバッファローマンの罠の可能性もある。
しかし僕はこの姿なき相棒とタッグを組む事にした。
恐らくこの足跡はモンゴルマンが残してくれた物に違いない。
さらには、所々にポイント看板が新設されていてホッとする。
ちゃんとレスキューポイントの看板も新設してあって、よっぽど今までに遭難者が多かった事が伺える。
やはりバッファローマンは、相当な覚悟と準備無しには挑めない相手のようだ。
その後も深く深く奴の懐に潜り込んで行く。
この山は他の山と比べて「急登」での直接攻撃があまりない。
その代わりアップダウンを繰り返し、とにかく行程が長い長い。
僕に時間制限がある事を知ったバッファローマンの見事な戦略に焦りが止まらない。
そしてその長い行程はボディブローのように、じわりじわりと僕から意識をはぎ取って行く。
そもそも登山前からボディブローを浴び続けていただけに、僕の朦朧度は勢いを増す。
何やら延々と同じ景色が続く中、渓谷を遡上して行く。
同じような景色が続きすぎると、意識は内向化していく。
気付いた時には「スタッドレスタイヤの13万円をどう工面しよう」とか「なぜ鈴鹿スカイラインが冬期閉鎖してたんだ」とか「そもそも晴れ予報じゃなかったのか」とか「なぜ嫁は僕に優しくないのだ」という、気持ちが沈む事ばかりに意識が行ってしまう。
よろしくない傾向だ。
思えば3時間くらい休憩無しで歩き続けて来て、すっかり健全な精神が失われ始めているんだ。
さすがに一発ここで休憩を入れておく。
休憩と言いながら、このように己撮りを止めない男。
休憩するふりをしてからまたカメラに戻るを繰り返し、結局は疲労も抜けず時間も無駄に使う事になる。
分かっちゃいるけど、癖になっているからやってしまう。
そもそも時間がないのに、こんな遠方ショットにトライする時点でおかしな話だ。
でもそんな自分が大好きだったりする。
状況が悪化するほどに僕のハートは震えて燃えつきるほどヒートし、血液のビートが刻まれて波紋が疾走する。
マゾの奇妙な冒険風景である。
ここからはとにかく長くて地味な戦いに明け暮れる事になる。
何度も何度も凍てつく冷たさの川を渡り、
もはやどこが道なのかさっぱり分からない場所を下降し、
雪にまみれた「大量のイワオ」状態の急峻な谷を駆け上がり、
まだまだ深く深くバッファローマンの懐に攻め込んで行く。
長い。
実に長く地味で疲れが溜まる攻防戦。
景色が変わらないから、進んでる実感も感動も楽しさも無い。
今更ながら、僕はたまの休日に何をやっているのだろうか?
そんな厭戦ムードいっぱいの状態になった所で、やっと「七人山のコル」という尾根に到達した。
「七人山のコル」とは実に恐ろしいネーミングの場所だ。
まさに7人の悪魔超人が山となって襲いかかって来そうではないか。
しかし僕はここまでにすでに6人の悪魔超人を撃破している。
そして今やっと尾根に到達し、7人目の男への挑戦権を得たのだ。
ちん毛のような木々の隙間から、バッファローマンのアフロ(雨乞岳)が見てとれる。
いよいよお前と雌雄を決する時が来たようだな。
さあ、ここからはガップリ四つの最後の戦いだ。
この瞬間を僕は1年以上待ち続けていたのだ。
さあ、行くぞ!
僕はそう猛々しく叫び、腕時計に目をやった。
「12時25分」
どれくらいの時間、その場で固まっていただろう?
僕が下山開始時刻に設定した「12時半」まで5分前。
なんて事だ。
5分でバッファローマンを倒せるわけないじゃないか。
やっとここまで来たと言うのに。
進むべきか退くべきか?
しかしこんな状況こそ、僕にとってはゾッコンのシチュエーションだったはず。
こうして「マゾに恋する5分前」の男はなおも前進していった。
しかし歩みを進めながらも頭の中はまだ行こか戻ろかの自問自答。
でも、こういう状況に限ってやっと「いい景色」を露出して来るバッファローマン。
くっ。
さすがは試合巧者のバッファローマンだ。
僕から帰らせる気を奪おうって作戦か。
望むところだ。
意地でも貴様のロングホーンをへし折ってくれる。
やがてもしゃもしゃのアフロヘアー内に侵入。
ここを登れば雨乞岳の前衛峰「東雨乞岳」に到達し、そこから雨乞岳本峰までは目と鼻の先のはずだ。
最後の急登をグッハグッハと駆け上る。
ううむ、中々東雨乞岳の頂上に到達しない。
やはり撤退か、と振り返ると再び奴の「いい景色」作戦が炸裂。
くそう。
頂上からもっといい景色を見てみたくなるじゃないか。
なおも歩みを止めない男。
やがて「東雨乞岳」の頂上が見えて来たぞ。
そしてここでバッファローマンが一気に攻勢に転じた。
奴は僕が弱り切ってここまで登って来るのをジッと待っていたのだ。
突風が暴風となり凄まじい勢いで僕に突入して来た。
ついに奴の必殺技「ハリケーンミキサー」が炸裂。
もはや立っているのがやっとという程の圧倒的な威力。
ただでさえ弱り切った僕の体温が、みるみる冷やされて行く。
だめだ。
やはり強すぎるぞ、1000万パワー。
全く歯が立たない。
目指す雨乞岳の山頂はもうすぐそこに見えていると言うのに。
恐らく往復30分くらいだろう。
しかし今の僕にとってその距離は、東京〜大阪間ほどに遠く感じられる。
そもそももはや予定下山時刻を30分もオーバーしている。
無念だが、もう僕には「撤退」の道しか残されていないようだ。
しかしただでは撤退しないぞ。
このまま終わってはバッファローマンを倒せなかったばかりか、ミート君を救出できずにキン肉マンに対して申し訳ない。
そこで僕は一旦風が凌げる薮の所まで避難。
そしてバラクラバ(目出し帽)をかぶり、最後の戦闘モード。
藪の中に、怪しさ全開マックスの変態が現れた。
まさにその姿はウォーズマン。
ついに男にウォーズマンが憑依し、最後のあがきを開始。
バラクラバで息がしづらいから、自然と息使いが「コーホー、コーホー」となる。
せめて東雨乞岳を制した記念写真を撮って一矢報いたい。
しかし大暴風のせいで、いつものように三脚でカメラをセッティングできない。
無理にやったらカメラごと倒れて、再びカメラはメーカーへ長期ご入院の運びとなるだろう。
そんな窮地に再びメシア(救世主)が加勢。
あの雪上の足跡で僕をここまで導いてくれた、先行登山者のモンゴルマンが登場。
そして見事にこの写真を撮ってくれたのだ。
写真を撮ると、モンゴルマンは颯爽と去って行った。
ありがとう、モンゴルマン。
風が強すぎてほとんどろくな会話も出来なかったが、あなたがいたからここまで来る事が出来た。
そして僕はこの東雨乞岳の頂上で両手のベアー・クローを天高く掲げた。
そして「伝説の計算式」で一時的に1200万パワーを豪快に発動。
そして雨乞岳の片側のロングホーン「東雨乞岳」をへし折ってやった。
一矢報いた。
ただでは撤退しないことを見せつけてやったぞ。
しかし激しくバッファローマンの怒りを買ってしまった。
たちまちさらに強烈なハリケーンミキサーの嵐に巻込まれた。
男は吹き飛んだ。
見事なる完全敗北。
しかし一矢報いる事に成功し、満足の「ウォーズマンスマイル」。
そして男はそのまま静かに息を引き取った。
ありがとうウォーズマン。
さようならウォーズマン。
君の死は無駄にしない。
きっと来年の春、リベンジマッチでキン肉マンがこの雨乞岳を落としてくれるはずだ。
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男は下山して行った。
すると先ほどまでの暴風がパタリと途絶え、雲間から「パアァァァ」と日光が差し込む。
もはや何も言うまい。
そして延々と延々と延々と下山。
登山口まで降りた時には、真っ白な矢吹丈となっていた。
しかしここがゴールではないと言う現実。
再びヨロヨロと恐怖のトンネルへ突入。
しかしトンネル内には再びモンゴルマンがいた。
彼がいてくれたおかげで、なんとか恐怖に取憑かれる事無く無事にトンネル突破。
彼とはほとんど話してないが、随分と助けられた気がする。
僕は薄々気付いていた。
彼は昔、僕のベアー・クローで頭部をやられて再起不能になったラーメンマンだったという事を…。
こうして男は再び長い長い鈴鹿スカイラインの旅路へ。
もうこの頃の記憶はごっそりと消え去っている。
敗者は黙って去るのみだ。
より大きな地図で 雨乞岳 を表示
やがて冬期閉鎖ゲートの所に置いた車まで到達。
この時16時40分。
予定時間を40分オーバー。
17時半までに岐阜の大垣にある日産ディーラーまで移動出来るのか?
僕は一息つく事も無く、登山靴のまま車に乗り込んですぐさま大移動開始。
戦いは終わっていない。
日産でスタッドレスタイヤを着けるまでが登山だ。
そして当然のように大渋滞に巻込まれて行く男。
バッファローマンの執拗な追い打ちが続く。
結局四日市を出る事も出来ずにタイムリミット「17時半」を迎えた。
ディーラーに電話すると、なんとか18時ちょい過ぎまでは待ってくれると言う。
可能な限り大急ぎで車を走らす。
すると長良川の堤防を走ってる最中、とてつもない猛吹雪。
雪が横殴りにもの凄い量で車に襲いかかる。
一体僕はどこに迷い込んだんだ?
平地なのに雪山登山並の遭難気分だ。
まだノーマルタイヤだというのに。
どうやら相当バッファローマンを怒らせたみたいだ。
追い打ちハリケーンミキサーの勢いが収まる気配を見せない。
やがて、ほうほうの体で日産になだれ込んだのは18時20分。
およそ1時間遅れの迷惑野郎。
正直ディーラーに対し「そっちにも責任があるから安くしろよ」と強気で抗議するつもりだったが、ここまで待たせておいてとてもそんな事は言えない。
こうして壮絶な雨乞岳登山は終わりを告げた。
圧倒的な敗北だった。
撤退した挙げ句にタイムリミットに間に合わなかったというメッタ打ちの惨敗だ。
やはりそう易々とは「鈴鹿セブン完全制覇」は無理みたいだ。
男はなんとかスタッドレスタイヤを履いて家路につく。
書くまでもないが、その頃には吹雪はおさまっていた。
でも前がよく見えない。
ワイパーを動かしても前がよく見えない。
なんでだろう?
曇ったメガネの奥の水が男の頬を伝う。
口にその水が入ると、なんだかちょっぴりしょっぱい味がした。
それは敗北の味。
雪はしんしんと降り積もっていった。
こうして男は今日も心の雪原を彷徨うのである。
さよならウォーズマン 〜完〜
さよならウォーズマン〜雨乞岳後編〜
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MATATABI BASE
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