3.11。
あの震災から1年が過ぎたこの日。
飼い猫が死に、そして僕は36歳になろうとしていた。
1年前の震災直後、僕は旗を持って八重山諸島に旅に出た。
悩んだ末の決断だったけど、結果的には行って良かった。
僕はそこで笑顔を取り戻し、生きている事に感謝しつつ、人との繋がりを大切にする事を学んだ。
その後「Smilimg Seeds Project」を立ち上げ、多くの人達の強力のもと笑顔の種を被災地に届けることも出来た。(参考記事)
ただこのプロジェクト以降、僕を悩ませた問題があった。
プロジェクトが一過性のものになっていないか?
継続した支援を続けていかなければいけないんじゃないか?
支援物資を送った事で、自己満足で終わってるんじゃないのか?
家族の反対を押しのけてでも、早く現地でボランティア活動に従事しなくてはいけないのではないか?
正直自分を責めるような日が続いた。
でも、途中で気がついた。
復興に向けて頑張っている人達が、生きてる事に感謝して力強く動き出している。
僕は被災してないばかりか、せっかく生きている上に幸せな家庭まである。
恐らく、この先どんなに頑張っても無力感は潰える事は無いだろう。
そもそも、自分の無力感を消す為にやることでもないし。
だったらこれ以上自分を責める事無く、日々を精一杯楽しく生きてやろうと。
それがあの日以降、この国に生きる者の勤めだと思った。
それからの僕の異常なまでの行動はご存知の通り。
楽しんでいたかどうかは謎な部分が多々あるが、山に川にと精一杯遊んだ。
自然に畏怖と敬意を持って、生きてる事に感謝して。
そして時間が過ぎてこの日が来た。
相変わらず、平和な日々の中で僕は生活している。
ただひとつ、3.11のこの日に我が家の飼い猫が死んでしまった。
このブログのかなり初期の頃に紹介した猫だ。(参考記事)
ものすごく悲しい出来事なんだけど、ある程度すんなりとその死を受け入れる事は出来た。
誰にでも「その瞬間」は必ずやって来る。
死者は生あるものに「その瞬間」がある事を思い出させてくれる。
だから、僕は今日も精一杯生きてやろうって思う。
それが「忘れない」ってことに繋がるんだったら、震災の事も猫の事も僕の中で生きて行く為の糧となる。
そうしていかなきゃいけない。
思い出したくないけど、忘れてはいけない。
それを糧に精一杯、楽しく生きて行く。
そうやって、精神が未来へつながって行く事も「絆」の一つだと信じてる。
その日の夜。
複雑な環境の中、中華料理店で家族が僕の誕生日祝いをしてくれた。
正式には翌12日が僕の誕生日だけど、休日のこの日に行なわれた。
震災後1年、猫の死、誕生日。
色々と考えさせられる一日だったけど、改めて家族とあらゆる森羅万象に感謝した。
そして、生きてまた一つ年を重ねた事にも感謝。
こうして僕は36歳になった。
さあ、ここからの人生も日々をフルライフで生きて行くぞ。
山に川に育児に仕事。
それと楽しい事と、家族と仲間と、平和な日々。
あふれまくる未来。
いらないって言っても地球は回って、どしどし勝手に未来はやって来るぞ。
どうせなら、笑って楽しい未来にして行きたい。
おっさんになっちゃったけど、今年もガンガン突っ走って行こう!
震災と猫と誕生日
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MATATABI BASE
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どんどんお互い、あり得ない年齢になってきましたねー(笑)
でも、今までどおり年齢なんてぶっ飛ばしてやりましょう♪
3.11、再度考えさせられます。私も何かしなきゃと考えてます。
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ありがとねー!
確かにこの年になって来ると、そう思うね。
学生の頃からしたら、36歳って遥かなおっさんだったもんな。
民生が「30」出したときは、民生もおっさんだなって思ってたけど30なんて若い若い。
でも、なんだかんだとこの36年で一番気力と体力が充実しているよ。
修行のようなアウトドアばっかりやってたら、そこそこ体力付きました。
だから、ここからが僕の青春です。
失われた命の分まで、噛み締めて精一杯楽しく生きて行こうと思います。
お互い、笑って中年期を乗り切って行きましょう!