ついにこの日がやって来た。
数ヶ月に及ぶ厄まみれ生活。
毎日のように迫り来る細かすぎる不幸の数々。
それはもはや「厄のデパート」と言っても過言ではないマゾの海。
そんな中で、カマーホリックを皮切りに息子の新春ボーンクラッシュにも巻き込まれて完全に身動きの取れない状態に。
何度か遊ぶ計画は立てていたんだが、そのことごとくが闇に葬られた。
そして遊びに行くどころか家からも出ることも出来ず、挙げ句2週連続で「庭男」という負のモンスターに成り下がることに。
で、気づいた時には去年10月の五色ヶ原以来、実に3ヶ月以上の禁欲生活を強いられることになってしまった。
その間の週末の天気の良さと言ったらどうだ。
特に庭でテント泊してた時なんて、人をバカにしたようなピーカンだった。
しかしそんな苦渋の生活にいよいよグッバイの時が。
僕のむち打ち症状も多少落ち着いて来て、こーたろくんの腕の固定も外れて骨もくっついた。
もう私を遮るものはない。
いよいよ復活の狼煙を上げるときだ。
そんな鎖が外れて腹を空かしまくった狼の元に、とある人物から「肉」が放り込まれる。
それはこのブログの読者で、この夏に沢登りを教えてもらおうと思っている人物。
彼はこの絶妙なタイミングで、「小秀山か御池岳に行きませんか?テント泊で。」とメールして来たのである。
彼にとっては軽い気持ちで誘って来たかもしれないが、僕にとっては神の啓示にすら思える誘惑だった。
それはまさに、餓死寸前の男の前に突然A5ランクの松阪牛ステーキとビールを差し出されたようなものだ。
もちろん僕はその誘いに貪りついたのは言うまでもない。
そこからの我が浮かれぶりは容易に想像していただけることだろう。
道具のメンテナンスも抜かりはなく、小秀山に関しても調べに調べた。
ブランクがあるから、空き時間には必死で走って体作りに邁進した。
そしてその結果どうなったか?
このブログを良く読む人にはピンと来たはず。
決行日二日前。
そう。
僕は「風邪」で倒れたのである。
もはや恒例となって来た登山前病院送り。
楽しみにすればするほどに体調を崩して行く職人芸。
しかも風邪を引いたのが、その3ヶ月前の五色ヶ原の時以来というから素晴らしい。
一体この体はどういう構造になっているんだろうか?
しかもである。
何の前触れもなく、突然左肩肩甲骨付近に激しい痛みが勃発。
これもいつもの事ではあるが、雪山装備の重量ザックを背負うには随分と楽しい状況だ。
さらにいつものパターン。
晴れ時々曇りだった予報はみるみる不穏な気配へ変化し、時折「☂」という見慣れたマークが登場。
しかも赤い字で「風速20m」なんて書いてある予報まで。
やがては全国的に寒波・大雪・暴風という、ここ暫くなかった悪天候列島へ。
先週まであんなに穏やかだったのに。
ここで僕が普通の精神状態なら「今回はやめておきましょう」と言う所。
しかしこの時の僕は飢えた狼。
目は血走り、手足はワナワナと震え、血管も浮き出た状態。
そんなストレスの固まりに対し、再び「おあずけ」なんて言おうものなら発狂して己食いを始めてしまう。
何が何でも行く。
そうでもしないと、この何ヶ月も続く厄災生活にグッバイ出来ない。
実はこれでもちゃんと神社に厄払い行って来たんだ。
でももう神の力を持ってしても我が闇の力は衰え知らず。
むしろ僕自身が疫病神そのものな気さえして来た。
だが今こそ己の力でこの悪い流れを無理矢理こじ開けるのだ。
モーゼのように厄の海を切り裂き、自分の人生を取り戻すのだ。
頼れるのは己だけ。
風邪なんてもんは現場で治せば良い。
とにかく自分の力で普通の人生を取り戻すのだ。
僕は全身から「悲壮感」というオーラをふりまいて未来を見据える。
本来行くはずで、あれ程下調べしまくった小秀山は「暴風」の為却下になってしまったが、まだ御池岳が残っている。
今まで中々行く機会がなかった鈴鹿山脈最高峰の山。
果たしてこんな体調不良の状態で行けるものなのか?
それは愚問だ。
私にとって、風邪と背筋痛は通常のコンディション。
いや、マゾ的観点からするとそれはベストコンディションと言える。
これほど我が復活祭にふさわしいステージはないではないか。
それでは次回、本編「御池にはまってさあ変態」をお送りします。
必死に運命に立ち向かう男の勇姿。
しかとその目に焼き付けましょう。
WhiteWorld 御池岳復活祭〜予告編〜
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MATATABI BASE
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