疲労を滲ませビール片手に瀬戸内海を見つめる猫背男。
時は2006年5月。
彼はこの時、何故か自転車で「瀬戸内しまなみ海道」を縦断中だ。
久しぶりの「あん時のアイツ」シリーズ第23弾。
今回は珍しくカヌーでも登山でもなく自転車旅の模様だ。
「しまなみ海道」とは広島県尾道から愛媛県今治を結ぶ海の道で、6つの島を越えて行く海道だ。
サイクリングロードが整備されていて、その筋の人には人気の所らしい。
しかしそもそもなぜそんな場所に行こうと思ったのか、そしてなぜ自転車旅だったのか今となってはその動機すら思い出せない。
この時のテーマは「二泊三日で野宿しながら、尾道から松山道後温泉までの往復約250Kmを自転車で旅をする」というもの。
一体この人は何がしたかったのか?
多分この頃は登山なんてやってない頃だし、カヌーも色々な川行きすぎてマンネリ化していた事もあって「自転車旅」というものがやってみたかったんだろうな。
ロードバイク持ってないから、舗装路なのにマウンテンバイクで。
しかしもちろん当時は人生で最も体力の無いへなちょこ時代。
そんな男の無謀な挑戦だったから、各所で吐きそうになっていた事だけは鮮明に覚えている。
でも特に記録も付けていたわけじゃないから、ハッキリ言ってほとんどこの旅の記憶が無い。
残された写真と微かな記憶をたよりに、せっかくだから2回に分けて記録しておこう。
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確か尾道の小高い丘の上にある公園の駐車場に車を停めたんだよな。
ここが一番駐車代が安かったんだろうけど、この坂の街でこんな所からスタートしたらゴールする時は登りばっかで死ぬって分からんかったのかな?
尾道港から渡船で一つ目の島の向島へ。
まるで家出少年のような風貌だ。
当時はろくなザックもなく、たかだた25L程度のザックに重いテントや寝袋や着替えなどをギュウギュウに押し込んでの豪快装備。
青春を感じてしまうが、この頃僕はもう立派な29歳。
もうちょっとマシな道具を揃えられんかったのか?
海峡を橋で渡り、瀬戸内海を見ながら島から島へ。
実はこの時の旅で、僕の偉大な記録がストップする事になる。
元阪神の金本のような連続フルイニング出場記録には遠く及ばないが、僕はこの旅で「連続一人旅悪天候記録」がストップしたのだ。
それまでの僕は「4年間」も一人旅の時に雨が降らなかった事が無いという悪天野郎。
4年間ほぼ連休の度に旅をしていたのにも関わらずにだ。
まあ今でもヒドいもんだが、当時は輪をかけてヒドかった。
降水確率0%の晴れマークの場所に行っても、なぜか車のワイパーをマックスで動かす事なんて日常だった。
それだけにこの時の旅は二泊三日のすべてが晴れという奇跡。
ゆえにそれは「酷暑」となって僕に燦々と降り注いだ事は言うまでもないけどね。
川のカヌーならまだしも、自転車だから瞬く間に暑さで弱って行ったのを覚えている。
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ルート上には案内板もあって立寄地やトイレの場所など分かり易く表示されている。
もちろんこれはレースでもなければ競争でもない。
これは旅だ。
寄り道こそが、しまなみ海道の正しい嗜み方だ。
よく分からなかったがチャイナ的な寺を巡り、
海岸を彷徨ったり、
色々していたみたいだね。
全然覚えてないけど。
島から島への移動は延々と続く。
記憶がなくなると、このように写真だらけのダイジェストスタイルになってしまう。
まあここの所文章だらけのマニアックな記事が続いたから、リハビリ的にたまにはこんなのも良いだろう。
で、どの島だったのかもよく分からないんだけどビーチらしき所で野宿です。
まだ独り身の頃はこういう感じの野宿しながらよく旅をしたな。
夕焼けと焚き火見ながら酒飲んで、夜は静かなテントの中で読書三昧。
なんか凄く羨ましい。
「ああ、また野宿旅がしてえなあ」などと呟く、もうすぐ二児のパパになろうとしている30代後半のマスオのため息。
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二日目の朝が来ましたね。
静かな瀬戸内の朝は何やら心が静かになる。
早朝のスペシャルタイムに訪れる最高のひと時。
登る朝日は、朝の漁船のシルエットを美しく浮かび上がらせる。
こんなのを横目で見ながらの海岸沿いツーリングは、実に味わい深いものだった記憶がある。
やがて五つ目の島に上陸。
「伯方の塩」で有名な伯方島へ。
ここの塩ソフトは絶品でした。
今では塩入りの商品は数あるけど、当時は塩とソフトクリームの融合は珍しかった。
で、ここの海がまた奇麗なんだよね。
愛知県生まれの僕にとって、海は「黒くて海藻だらけ」ってイメージしか無かったから結構感動して見とれてたなあ。
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やがて最後の島の大島へ上陸。
ここで僕は大きなミスを犯し、自らをマゾの道へと引きずり込むことになる。
島の後半に「亀老山展望台」なるものがあると地図で確認。
いい加減海ばっか見てるのも飽きて来たし、なんとなく体力に余力があったからその展望台へ向けて寄り道を敢行。
でもその展望台までの道のりは、延々と続く強烈なヒルクライムだった。
延々と延々と自転車で山を登り続ける男。
この時のつらさは「鮮明に覚えているけど何も覚えていない」というもの。
強烈にしんどかったけど、ほとんど意識が飛んで朦朧としていたから断片的な記憶しか無いからだ。
何度もゲロを吐きそうになりながらも登り続け、随分と高い場所まで来てしまったぞ。
景色の素晴らしさと対象に、しんどすぎて僕のテンションは強烈に低かった。
確か水分も底をついて、お得意の脱水状態を堪能していた記憶がある。
今も昔も変わらない脱水大好き男のマゾクライム。
でも当時はまだソフトマゾだったから、今程状況のおいしさを把握してなかったはずだ。
結局2時間くらいかけて展望台へ到着。
普通はもっと笑顔で写っていいもんだが、もはや顔から表情が消えてしまっている。
「ちょっと寄り道」のつもりで来た展望台だったが、結果的には自分の無力さだけが展望できただけでした。
それでも下りはご褒美ダウンヒルで爽快に下山です。
あんなに苦労して登っても下りはあっという間なんだよね。
苦労してデートを重ねてもふられるのはあっという間だったという当時の僕を象徴するような寄り道でした。
その後は名物のジャコ天を食って、
いざ四国上陸へ向けて突っ走る。
そしていよいよ四国上陸です。
海がまたさらに美しくなって行くね。
このまま東へ行って今治まで行けばしまなみ海道のゴール。
でもそこは先天性マゾ野郎。
あえてそこから50kmほど南下して松山の道後温泉を目指すのだ。
簡単に「50km南下するのだ」と書いているが、ひたすら単調な国道を延々と走って行く苦行の道のり。
今までみたいにサイクリングロードどころか歩道すら無いようなTHE国道。
至近距離を車やトラックが通りまくる恐怖の50km。
引き返せばいいものを、「意地でも道後温泉に入りたい」と言うアツい想いが僕を突き動かしていた。
とっても長い長い時間自転車をひたすら漕ぎ続けて、やっとこさ松山へ。
坊ちゃんのふるさとに到着だ。
そして目指すべきゴール「道後温泉」の有名な湯屋が見えて来たぞ。
あの「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルとなった歴史ある場所。
やっとここまで辿り着いたぞ。
味気なくて危険たっぷりの苦難の国道南下50km。
もう今すぐにでも温泉に浸かって、どっかこの辺で一杯酒を飲んでのんびりしようじゃないか。
それですべての苦労が報われるぞ。
でもそんな思いの僕の前に展開されたのは、人人人の観光客の大群衆。
なんだこりゃ。
そうか。
黙々と一人で漕ぎ続けて来たから忘れていたが、世間はGWの連休で観光地はこんなにも悲惨な事になっていたんだ。
あまりの人混みに、当然僕のような男は1秒とそこにいることが出来ない。
途端に道後温泉が安っぽい観光施設に見えて来てしまった僕は、あっという間にその場から逃げ去った。
結局この場で神隠しにあって消えたのは僕だったようだ。
グッタリと疲れ果ててゴールと思った時点での壮大な延長戦が始まった。
そしてこの時のこの判断が、後に僕を「脱水ウイスキー人間」からの「魅惑のジャングル大回転」の恐怖へと導く事になる。
そして見知らぬおっさんとの全裸対決が待ちうける。
人は運命には逆らえない。
男は徐々に自分の負の運命に向けて近づいて行く。
しまなみ海道縦断野郎 後編へ 〜つづく〜
しまなみ海道縦断野郎 前編 〜動機なき旅〜
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