昨日は全く記事が書けんかった。
眼球反乱による頭痛と吐き気、大量の仕事、さらにfc2ブログのサーバーメンテナンスでアクセス出来ないという辛い一日を過ごした。
なので今日は張り切って書いていこうじゃない。
「爆発大移動の旅」二発目、伊豆敗退記前編「伊豆山稜線トレッキング」だ。
伊豆山稜線ってのは、伊豆半島をひたすら縦断する尾根道のロングトレイル。
いくつもの山のピークを越えて、天城峠に抜ける道。
当初はここを1泊2日のテント泊で乗り越えるつもりだった。
しかしまだ登山野郎になる前の事なので、全く体力が追いつかず敗退を喫する事となる。
なんせ、今より10キロ以上太っていた頃で、全く運動もしていなかった。
この時は「長い散歩道」程度の認識しかなく、「登山」なんて概念は少しも無かった。
当時は「登山なんて辛いだけで、楽しくない」って思っていた頃。
今となっては「辛かった」という思い出しか残ってないから、実はそんなに書く事が無い。
今日は張り切って書くぞと言っといてなんだが、ダイジェスト的な感じでご勘弁。
でも後半はしっかりマゾってます。
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三島で山田と別れてから、確か修禅寺辺りの温泉に入ってからどっかの道の駅で車中泊。
まずこの時点で凄く寒かったってのを記憶している。
翌日の山中でのテント泊に激しく不安を感じた夜だった。
早朝移動。
珍しく空は快晴で富士子ちゃんも白い肌をあらわにしている。
しかしGWだというのに、結構寒い。
そして、多分だるまやま高原にある戸田峠の登山口の駐車場へ。
1泊2日のテント泊分の結構な荷物を背負って出発。
いきなり現れるちん毛道。
今見てみれば結構歩きやすそうな感じだけどね。
標識も所々にあって、迷う心配は無い。
でも確かこの頃にはもう背中の荷物も重くて、随分へばっていた気がする。
次第に景色が開けて行き、富士山も見えるようになってくる。
やがて一発目の山「小達磨山」の山頂到達。
ここからは駿河湾がズバッと眺められる。
そして気持ちのいい尾根道が延々と続き、駿河湾と富士山を眺めながらのトレッキング。
でもこの辺結構登りがキツい箇所があって、随分しんどかった思い出があるな。
やがて二発目の山「達磨山」登頂。
こっからの眺めは最高だったね。
富士山と駿河湾が実に美しい。
やっぱり日本人には、この景色がグッと来る。
この時の僕は「富士山とは登るものじゃなく、見るものだ」と深く思っていた。
まさかこの翌年の秋に、自分があの山の頂に登るなんて思ってもいなかった。
当然「富士6苦フェス」などという、全身破壊の悲劇が待っているなんて想像もつかない。
人生、一寸先はマゾ。
これだから旅はやめられない。(参考記事:富士6苦フェス)
その後も快適な(多分ね。よく覚えていない)尾根道は続いて行く。
やがて三発目の山「古稀山」登頂。
相変わらず素晴らしい景色だが、どうも僕の顔の表情が冴えないな。
多分、この時点でかなりの疲労を抱えていたはずだ。
当時はまだ「マゾ開花」の夜明け前。
まだこの様なハードさに快感を見いだせない頃だ。
今の僕なら、ニヤリと笑って写真に収まっていたはずだ。
再びちんげ道に吸い込まれて行く。
確かこの辺りで、随分陰湿な気持ちになった記憶がある。
荷物は重いし、体はしんどいし(体力無い上に激しい移動による疲れもあった)。
景色もちん毛だし、風もあるし、寒いし。
夜は多分寒すぎてテントでなんか寝られないぞ。
昨日の車中泊ですらあんだけ寒かったんだ。死んでしまう。
そしてここであっさりと敗退撤退命令を自分に下した覚えがある。
全く、情けない奴だ。
かと言ってすぐに下山出来るわけも無く、四発目の山「伽藍山」到達。
心が折れてから続ける登山ほど苦痛に満ちたものは無い。
今なら「良いブログネタ」になると自分に言い聞かせて頑張れるが、当時は誰にもこの苦しみを伝える事は出来ない。
ただ静かに己自身で噛み締めるのみ。
まさに修行の世界だ。
ちん毛を抜けると、再び駿河湾が広がる。
しかしこの写真からもグッタリ感が色濃く伺え、もう駿河湾いいやって気持ちになっている。
そうこうしながらも五発目の山「棚場山」登頂。
なんだかんだと、心が折れてからもさらに二つの山を越えている。
一応、彼なりに頑張っているようだ。
しかし記念写真からはまるで覇気が感じられない。
ポージングも、自然と幽霊の様なポーズになっている。
やがて南無妙峠に到達。
ここには「南無妙法蓮華経」と書かれた古い石碑がある。
その昔、ここで行き倒れになった夫婦を祀ったものらしい。
僕は痛いほどその夫婦の気持ちがわかった。
まさに僕はこの時点で、すっかり心の行き倒れ状態で疲弊しきっていた。
地図を見ると次の「土肥峠」から林道が下界に延びていて、脱出出来る事が判明。
全く迷う事なく僕は土肥峠で登山道に背を向けて下山。
敗北の悔しさも感じないほどの惨敗だった。
地図を見ると「持越温泉」という所まで行けばバス停がある。
しかしそこまでの距離も実はかなりあった。
僕は最後の力を振り絞って、2時間近く歩いて行った。
膝はもう大爆笑していて、息もぜぇぜぇ言いながらやっとの思いで持越温泉のバス停到着。
しかしこのバス停。
なんと「一日3本のみ」という実に情けないバス停野郎だった。
2本は朝で、残り1本は夜。
僕がその場に、膝から砕け落ちた事は言うまでもない。
持越温泉バス停によって、僕の救助も持ち越しとなった。
失意のどん底の中、フラフラと持越温泉の受付に行った。
受付の人に事情を説明して、何かいい方法が無いかと聞いてみた。
すると国道沿いの「湯ヶ島温泉」のバス停まで行けば本数は多いとの事。
そして一言。
「まあ、がんばって歩いたとしても国道まで2時間はかかるね。」
何やら登山よりもハードな展開になって来た。
もうかれこれ朝から7時間以上歩き続けている。
これは一体何の修行なんだ?
子育てのストレスから解放される為の旅ではなかったのか?
今僕の体に充満しているこのストレスは一体何なのだ?
考えても仕方が無い。
聞けばタクシーを呼ぼうにも、麓から来てもらうから結構お金もかかるって言うし。
夜のバスまで待ってるのもアホらしいし。
僕は再びヨロヨロと歩き出した。
途中途中に現れるバス停で、無いとは分かっていても時刻表を見てしまう情けなさ。
どうでもいいが、伊豆のバス停の標識は味があるが実に発見しにくい。
残されていた写真の中にこのようなものがあった。
タンポポをトレッキングポールに刺して喜んでいる。
この頃には大分頭にも異常が達し始めたようだ。
こうして僕は延々と、ただ延々と国道を目指して歩き続けた。
そして湯ヶ島温泉のバス停に辿り着き、車が置いてある戸田峠へと帰って行った。
この時の僕は顔面蒼白の無表情だった事は言うまでもない。
車に戻ってから、男はさらに南下して行った。
どんなに体がボロボロになろうと、この自由なGWの時間は限られているんだ。
休養なぞしてる場合じゃない。
とにかく遊ばなければならない。
色々調べたら、平六地蔵露天風呂という無料の露天風呂があるようだ。
僕はそこに向かって今日一日の疲れを癒した。
温泉でサッパリしたので、気を良くしてさらに1時間ほど南下した。
そこで気がついた。
温泉の簡易脱衣所に大事な帽子を忘れて来てしまった事を。
すごく具合が良くて、その頃いつも大事に被っていたものだ。
しかしここから取りに戻れば往復2時間を無駄にしてしまう。
来た道を戻る事ほど気が滅入るものは無い。
でもとても大事な帽子だったから、取りに戻る事にした。
1時間後、温泉着。
僕の帽子はすでに何者かによって盗まれていた。
はるばる戻ってきた事も手伝って、激しくへこんだ。
しかし嘆いている時間はない。
遊ばないと。
再び移動を開始。
美しい夕焼けも、今の僕の心を癒す事は出来ない。
明日こそ、最高に楽しい一日を過ごして盛り返すんだ。
僕が選んだのは「南伊豆歩道トレッキングの旅」。
全く行く予定のなかった場所だが、伊豆山稜線での惨敗の為やむなくチョイスした。
以前、シェルパ斎藤氏の「日本の山をバックパッキング」という本で読んでいて気になっていた場所だ。
トレッキングで痛い目にあっているのに、なぜ彼は翌日再びトレッキングをしてしまったのか?
焦っていたのは分かるが、一日くらいのんびりすれば良かったのに。
こうして伊豆敗退記後編「南伊豆歩道トレッキング」の旅へと突入して行った。
当たり前だが、途中で体力がなくなり脱水症状に陥る結果となる。
伊豆のマゾり子、第二章のステージへと続く。
爆発大移動の旅2〜伊豆のマゾり子〜
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