安居川での清流浮かれポンチ。
そして土居川での無念の孤独死。
そんな紆余曲折を経て、男は疲れた体に鞭打ってさらに愛媛県に向けて移動を続ける。
痛み止めで頭痛をごまかしてまで、彼は「日没まで1秒も漏らさず遊び尽くしたい」という強い信念を貫く決意。
本来こんなハードスケジュールな川下りなんてしたくはないんだが、自由な時間と晴れた空が嫌でも男を突き動かしてしまう。
普段から不自由と悪天候にまみれる男にとしては、こんなチャンスでのうのうと体を休めている場合ではないのである。
そんな男が向かった先は「面河川(おもごがわ)」。
安居川・土居川と単純な響きの川が続いただけに、この何ともモフッとしたネーミングが実に心地よい。
実はこの面河川、何気に仁淀川なんです。
仁淀川がその上流域で愛媛県に至ると、途端に名前が面河川になるというなんともややこしい川。
将棋で歩が敵陣に入ると途端に金になるという、成駒のような川こそ面河川なのである。
この川に関しては非常に少数だが、すでに川下りの情報がネットに出ていたから幾分か安心だ。
でも一番の問題は、下る前から全身が疲労困憊だという中年の事実。
しかも一発目で大清流を満喫しちゃったもんだから、もうそれ以上の清流は見込めないというローテンション。
だが、この面河川は他の川とはまたひと味違った雰囲気を持った川だった。
冒険疲れの男にぴったりの癒し系リバー。
やはり四国とは色んな表情を持った川が豊富なのだ。
それでは四国清流行脚5発目「面河川」。
本日の3本目となる、おかわりマゾタイム。
しっぽりと振り返って行こう。
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失意の土居川から車を走らせる事約1時間。
ついに彼の清流ステージは高知から愛媛へ。
夢と期待と疲労を胸一杯に感じながら、やって来ました面河川。
なんとも印象的な大岩「御三戸嶽」がお出迎えだ。
正直疲れてるし、現場を見てみて中途半端な川だったら下るのやめようかなって思っていたが、こういう雰囲気を見せつけられるとこっちも黙っちゃいられない。
高知から愛媛の川に転校して来た僕に対し、奴は「やんのか、コラ?」と挑発し、僕もなめられてたまるかとばかりに「上等だ、オラ」とガンを飛ばす。
しかしその威勢とは裏腹に、この転校生は非常に疲れきっていた。
気持ちは前面に出ているのだが、もはや体がついて来ない。
本来はこの大岩がある「御三戸遊園地キャンプ場」(無料のただの川原)をゴールに想定していたが、
そそくさとそこから約2キロ上流へ移動。
平和橋の横から川原へ侵入して、ここをゴールとする事に。
清流度では前回の2本には及ばないが、ここまで岩ゴツゴツの世界でばかりで戦って来た僕には中々心地いい空間だ。
久しぶりに正しいツーリングリバーに来たって感じで、これはこれで良い。
ここで1日2本のバスの、2本目が来るのをジッと待つ。
しかし実はこの男、この時点で餓死寸前だったりする。
土居川でお惣菜を食って以降ここに至るまで、コンビニどころか1軒も食材を売ってる店がなかったのだ。
かろうじて自販機で水分だけはキープできたが、ただでさえエネルギー消費の激しい本日のスケジュールをわずかなお惣菜だけで乗り切らねばならんという苦しさ。
かろうじて常備していた非常時用のカロリーメイトをかじって、なんとか飢えをしのぐ。
田舎とは言え、一体みんなどこで食料を手に入れているのだ?
ここは北斗の拳の世界なのか?
ガソリンとかと交換してもらわないとメシは手に入らないのか?
いつだって男のロマンにハングリーはつきものなようだ。
もちろんその頃、横浜組は優雅にお弁当タイムを満喫中。
激流を楽しんで、散々大笑いした後のメシはさぞかし美味い事だろう。
この同時刻に、21世紀のこの日本で餓死寸前になりながらカロリーメイトをかじってる奴がいるとは露程も思っていない表情だ。
もし今この場で漬け物とか残しちゃう奴がいたら、僕はそいつを全力で殴っていた事だろう。
そして彼らが仕出し弁当を食っている時、僕は仕出のバス停にいた。
一応時刻表も載っけておこう。
実質9:40と14:55の2本のみ。
実は朝の1時間寝坊のせいでバス利用は断念してランニング回送になると思っていたんだが、想定外の「土居川早漏撤退」の一件が功を奏して2本目のバスに間に合ってしまったのだ。
そもそも土居川に失敗しているからこれが良い流れなのかよく分からないが、せっかくなので前向きに「計算通り」と言っておこう。
やがて来たバスに乗り込むと、運転手さんが「お兄さんどこのバス停まで行くの?」と聞いて来た。
僕は事前に印刷して来た紙に書いてある「仕七川上組」というバス停名を見て、「ししちかわかみぐみまで」と答える。
すると運転手さんが、「兄さん、それ“しながわかみぐみ”だよ」と言うと、乗客からの失笑が沸き起こる。
疲れた体に地元民からの失笑は中々ダメージのある羞恥プレイだったが、形はどうあれ久しぶりに人と触れ合った気がするから良しとしよう。
やがて「しながわかみぐみ」に到着。
ここから川に向かって行くと、1軒のお堂とお墓の嵐。
一気に「THE日本の里」と行った風情の現場になった。
今にも向こうの方から「いっきゅうさ〜ん」と言いながら、馬に乗った新右ヱ門さんが走って来そうな雰囲気。
そして新右ヱ門さんが「そもさん」と言って僕が「せっぱ」と言えば、「屏風の中の虎を捕らえてみせよ」ととんち攻撃。
僕はポクポクちーんと考えた末、「それではその虎を屏風から追い出して下さい。縛りますから。」と言う。
そして続けて涙ながらに「お願いだから早くその虎を養子という屏風の中から出してやってください。嫁という名の鎖を取ってやってください。早くその虎を自由にしてやってくださいよぅ…。縛りますからぁ..」と崩れ落ちる。
遊びに飢えたその虎は、せっかく四国という野に解き放たれてもまた屏風に戻されるのが分かってるから「3日で7本の川下り」という無茶な遊びをしてしまう。
本来はのんびりと1本の川を遊びたいんだが、行きたい所が多過ぎて焦燥感ばかりが先行してしまう囚われの虎。
とにかくこの虎には時間が無いのだ。
餓死寸前疲労困憊の孤高の虎は、泣きじゃくりながらも何とか新右ヱ門さんに抱きかかえられて川へと向かう。
竹林越しに現れた清流・面河川。
これを見てやっと虎は生気を取り戻し、涙を拭いて勇ましく出発だ。
家庭内では驚異的な猫背で肩身の狭い思いをするこの男だが、こと現場が川となればここまで胸を張れるのだ。
もうここまで来たら疲れたとか腹減ったとか言っても始まらない。
清流に抱かれて過遊餓死できるのなら本望だ。
いざ、出発。
よく結婚会見を開く女優などが「この人に初めて会った時、あ、ワタシこの人と結婚するって思っちゃったんですよね」なんて事をぬかしているのを目にする。
僕もそれと一緒で、この面河川に初めて乗り出した瞬間から「あ、ワタシこの川が好きだ」とビビビッとなった。
この時の感覚をうまく伝えられないが、単純にそう感じたのだ。
安居川のような大清流でもなければ、土居川のような冒険的な川ではない。
しかし何とも言えないノスタルジックな感情が沸き上がり、心の琴線にソフトタッチして来るような優しい雰囲気。
もちろん安居川よりは見劣りするが、十分なる清流度。
そして至る所から「ピーヒョロロロロ」というとんびの声が聞こえ、
自分の周囲はサワサワと穏やかに流れる川の音。
頭上を見上げれば、至る所に紫の花も咲いている。
突出した景観こそ無いものの、どこかほっと心が和む川。
面河川なんて名前だからもっとモンゴル族的な闘争感に満ちた川かと思いきや、こいつは実に穏やかなる「里の川」だ。
なんだかここまで岩ゴツゴツの川を慌ただしく下って来ただけに、やっと「四国らしい川旅」が戻って来た感じ。
もう漕ぐ手を休めて、ただただ川の流れに身を任せて流されて行く。
これぞジャパンリバー。
ユーコン川のような壮大さや、コロラド川のような激流には無いニッポンの川の魅力。
適度な清流、穏やかで優しい景色、
頭上を旋回するとんびと、そこかしこに咲く野の花、
そしてこの日本昔話のような里の光景。
今にもふんどし履いたはなたれ小僧どもが沢山現れて、川に飛び込んで来そう。
そしてどこからともなく市原悦子のナレーションがスタートしそうな雰囲気だ。
この川は日本の原風景が残った川。
時折出て来る集落はしっかりと川を向いて、昔から川とともに生きて来た事が伺える。
子供達が「川は危ない」といって川から隔離されてから数十年。
川の本当の魅力と危険を理解せぬまま子供達は大人になり、このような川が失われて行っても何の感情も動かない。
当然その人の子供達には、このような「本来の日本の川の姿」は伝わって行かないだろう。
でもまだかろうじて四国にはこのような川が(それでも昔とは状況は違うだろうけど)残っている。
出来るだけこうした川の魅力を後世に伝える事が、僕ら世代の役目なんだと最近はよく思う。
やがて、こんな素敵な小学校が登場。
校舎の裏がすぐに川って、どんだけ恵まれた学校だろう。
もちろん校舎から川への道には柵なんか無く、「さあ、思いっきり遊びなさい」って感じのスロープが。
きっと授業でも水泳はこの川なんかでやってるんだろうな。
川遊びの伝統も、上級生から下級生へと脈々と受け継がれて行ってるんだろう。
こういう所で小学校時代を過ごせば、家でゲームしたり引きこもってる場合じゃなくなるだろうね。
僕だったらもう勉強なんかそっちのけで川ばっか潜ってるだろう。
場合によっちゃあ、「カヌー通学」なんて夢みたいな事まで出来てしまうぞ。
その後も実にいい気分で里川ツーリングは続いて行く。
ただ、この橋を越えた辺りから川の雰囲気はガラッと変わる。
先ほどまでの愛らしい里の雰囲気が無くなり、若干味気ない県道沿いの川になってしまうのだ。
そして川原のスペースが広がった分、水量は分散して途端に下るには厳しい状況へ。
こんな感じの落ち込みが随所に現れ、さっきまであんなにのんびりしていたのにやたらと忙しくなって来た。
そしてそれによってどっと押し寄せる溜まりに溜まった疲労。
この川は一本で「浮かれと代償」が濃縮されたお得な川のようだ。
正直前半だけでやめておけば良かったと思う、厳しい時間帯に突入だ。
そして何より、まだ半分にも満たないこの時点でもうすでに夕方5時近い時間。
すっかり太陽が傾いちゃって来ている。
ずっとこの激しい陽光に晒されながらのダウンリバーで、眩しい上に川に光が反射いて隠れ岩に何度も乗り上げる。
時間的な焦りと中年的な疲労が夕日に溶け込み、なんだかとってもツライ時間帯だ。
そして朝のお惣菜とカロリーメイトだけで何とかこなして来た体も、ガス欠状態になって手足も痺れ出す。
もちろん、ここでお約束の「向かい風」が吹き荒れ始めたのは言うまでもない。
前半の優しさが一変、突然僕に厳しくなって来た面河川。
まるで付き合ってる時は優しかったのに、今では寝起きから僕のケツを蹴って来る我が嫁と同等の川模様に。
やはり人生、何事も優しいだけじゃないんだね。
しかし時折、このような四国的情緒溢れる沈下橋で現れてそんな僕を癒してくれる。
そして己撮リストの僕としては、この沈下橋でしか撮れない素敵写真の撮影会に突入。
ついに「カヌーで瀬を下る己を撮る」という大技が炸裂したのだ。
そもそもカヌーで己撮りばっかしてる物好きは世界でも僕くらいのもんだろうが、ついに己撮りもここまでの完成度に。
沈下橋直後にこのような瀬がある、この面河川ならではの1枚だ。
もちろん瀬なので、この後筋肉をパンパンにしながら必死で漕ぎ上がって来る1枚もしっかり撮れている。
単独行とは、何事も過酷で不毛な世界なのである。
その後も延々と漕いだり歩いたりの消耗戦は続いて行く。
気を抜いていたら、突然このような落ち込みに突入して死にそうになったり、
凄く綺麗なんだけど、ひたすら漕がないと進まないトロ場区間に苦戦したり、
そんなことしてるうちに、もうすっかり夕暮れに包まれて焦りまくり、
ゴール手前で追い打ちのような岩と落ち込みに翻弄され、
やっとこさ、ゴールの平和橋に到達。
完全に燃え尽きた。
当初のゴール設定より2キロ上流にしてなかったら、僕は過労と飢えで死んでいただろう。
こうして僕は見事、日の出から日没まで3本の川を遊びきる事に成功だ。
全身の疲労感はもはや甲子園で延長25回まで投げきったくらい激しいが、その充実感はスペシャルなもの。
中年でもまだこのような無茶な遊びが出来るんだね。
こうして面河川5.36kmの旅は終わりました。
より大きな地図で 面河川 を表示
中々いい感じの川だったな。
次回はもう少し上流から小学校くらいまでをのんびりと漕いでみたいもんです。
さあ、これにて大清流あり、途中撤退あり、里の優しさありの珠玉の一日が終わった。
もういつでもバタンキュウの準備はできているが、本日のゴールはここではない。
何とここから「3時間半」車を走らせて、横浜組が待つ徳島県の穴吹川までのスペシャルな追いマゾドライブが待っている。
はっきり言って、ここからはリアルな過労との戦いだ。
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とても長い長い時間が経過。
ブログ上ではたった数行だが、あまりの辛さに途中のSAで15分程意識を失ったほどの身を削る大移動だった。
やがて僕は、これ以上無いほどのヘロヘロ状態で穴吹川の横浜組と合流した。
当たり前だが、今日という一日をあまりにも異なったステージで過ごした僕と横浜組とのテンションが合致するはずも無い。
今にも意識を失いそうになる僕に対し、サディスティックシスターズのお二人は「何も面白い事言わんなぁ。何か面白い事を言いなさい。」とか「寝てる場合じゃない。焼きそば食いなさい。」と追い打ちサディスティックを楽しみ出す。
やがて疲れからかいよいよ目の焦点が合わず、ダッチャーSが肉を切る手が数本に見えて来る始末。
彼らはまだまだ元気なだけに、もの凄いスピードで切っているように見えるぞ。
しかも僕より疲れてないはずのバターNはさっさと寝てしまうし。
そして実はこの時、疲労と酒で朦朧としていた僕は大事な一眼カメラを川原に落としている。
この時は気づかなかったが、後に大切なレンズにビッグな傷が入っていた事が発覚。
ゆえに、僕は最近になって3万円近い痛すぎる出費を余儀なくされている。
四国。
そこは多くの清流を提供する一方で、毎度僕から大切なものを奪って行く。
そもそもこの四国に一人で来ている時点で、一番大切な家族の愛までも奪われてしまってる感は否めない。
それでも彼は歯を食いしばって四国を遊び続ける。
与えられた3日のフリーダム。
いよいよ明日は最終日。
この3日をゴールデンなウィークにする為の7本の清流行脚も、残す所あと穴吹川と鮎喰川の2本。
しかしその大事な最終日。
事態は「いつもの展開」に落ち着いて行く事になる。
やはり水戸黄門では最後に印籠が出て来ないと締まらない。
そう。
この男にとっての印籠が今、静かに穴吹川に忍び寄る。
疲労にまみれて泥のように眠る彼の元に。
ポツポツと…。
そして、しとしとと….。
四国清流行脚6へ 〜続く〜
四国清流行脚5・面河川編〜屏風の虎の消耗戦〜
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MATATABI BASE
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おじさんは無理しちゃいけませんね(笑)
明日も穴吹川と鮎喰川ですか?!チョイスに無理がありますよ。
穴吹川と貞光川あたりならそんなに無理しなくても良いのに。
と、思う僕でした。
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tun_nokoさん、全く持ってそのとおりです。
無理しちゃいかんのは分かってたし、そもそも川ではのんびりしたい人間なんですが、どうしても「ここを逃したら次ぎいつ四国に来れるかわかったもんではない」という奴隷心が顔を出しちゃいました。
実は翌日の穴吹・鮎喰ですが、まあ例の感じで無念な方向に進んで行きます。
貞光川は今では行きたい川の一つなんですが、この四国行き以前はまだノーマークでした。
もし知っていたら穴吹→貞光で終わらずに、穴吹→貞光→鮎喰って感じでさらに無理を重ねていたかもしれません。
そうなったら間違いなく死んでましたね…。
次回四国に行けるときがあれば、高知東部からの北上コース「安田川→奈半利川→野根川→海部川→日和佐川→鮎喰川→貞光川→穴吹川」を3日で落とそうかと….。
結局僕が落ち着く時は来ないようです。